キリストの福音

「キリストの福音」ガラテヤ人への手紙1章6節~12節

「福音」とは、何でしょうか。ギリシャ語の原文では、ユーワンゲリオンという言葉が使われています。その意味は、「良き知らせ」英語ではGOOD NEWSと訳されています。昔、戦争の勝利の知らせを伝える者のことを、ユーワンゲリオンと呼んだことから、幸いな出来事を伝える者をユーワンゲリオンと呼んだそうです。では、福音とはどのような意味で、良い知らせなのでしょうか。

1、律法からの解放。

イスラエルの国は、ソロモン王の後、北イスラエルと南ユダ王国に分裂しました。また、北イスラエル王国は紀元前720年にアッシリアに滅ぼされ、南ユダ王国は、紀元前585年にバビロニヤに滅ぼされ、神殿も破壊されてしまいました。その時、南ユダの王族、貴族、技術者は捕囚としてバビロニヤの国に連れていかれました。彼らは、そこで神様を礼拝するために会堂を建て、会堂礼拝が始められました。また、彼らは、自分たちの国が滅ぼされたのは、自分たちの先祖が、神様の戒めを守らなかったからだと、悔い改め、旧約聖書を編集し、神のことばを研究するようになりました。そして誕生したのが、律法学者たちです。彼らは旧約聖書を研究し、神様の戒めを守るための戒めを作りました。それが口伝律法と言われ、先祖からの言い伝えともいわれています。イエス様の時代になると、旧約聖書(神様のことば)と口伝律法とが入り交じり、神様の戒めが膨大に膨れ上がってしまいました。それでも、律法学者、パリサイ人たちは熱心に、神様の戒めを守ろうと努力したのです。

その時代に登場したのが、バプテスマのヨハネです。彼はユダヤ人に悔い改めて洗礼を受けるように教えました。本来、ユダヤ人はアブラハムの子孫で、罪はないと律法学者たちは教えましたが、バプテスマのヨハネは、ユダヤ人にも罪があり、悔い改めのバプテスマが必要なことを教えたのです。後に、イエス様もバプテスマのヨハネと同じように悔い改めなさい、神の国が近づいたからと言って宣教を始められました。また。イエス様は一度も罪を犯さなかったのに、私たちの罪の身代わりとして十字架の上で、いのちをささげられました。そして、天の父のもとに昇って行かれました。弟子たちはその証人で、イエス様の十字架の死によって、私たちの罪は赦され、イエス・キリストを神の子と信じる者は、その信仰によって救われると、人々に教え始めたのです。ユダヤ人たちは律法学者たちが教える膨大な戒めのために苦しめられていました。イエス様はご自分の死を通して、律法の苦しみから人々を助け出し、律法を守ることによる救いから、イエス様を神の子と信じる信仰による救いの道を開かれたのです。

ガラテヤの教会の問題は、そのように、イエス様による救いを信じたにも関わらず、エルサレムから来た、ユダヤ人キリスト者が、イエスを神の子と信じる信仰に加えて、旧約聖書の戒めも守らなければならないと教えたことにあります。せっかく、イエス様がご自分の死によって、律法による束縛から解放してくださったのに、ガラテヤの教会の人々は、パウロの教えを捨てて、エルサレムから来たユダヤ人キリスト者の教えへと移ってしまったのです。パウロはこの働きに激怒し、自らエルサレムに赴き、エルサレム教会の長老たちと話し合い、救いは、イエス・キリストを神の子と信じる信仰によってのみ得ることができることを確認したのです。

2、異邦人の救い。

本来、神様の救いの計画は、アブラハムを通して、世界中の人々を救うことでした。しかし、その子孫であるユダヤ人は、自分たちはアブラハムの子孫で、神様に選ばれた特別な民と信じ、自分たち以外の民族を異邦人と呼び、汚れた民として、律法で、ユダヤ人が異邦人と交わることを禁止してしまいました。それでも、イエス様は異邦人や罪人と呼ばれる貧しい人々と共に食事をし、神様のことを伝えました。律法学者たちはイエス様のそのような姿を見て、イエス様を非難しました。イエス様の弟子たちも、初めはユダヤ人だけにしか伝道しませんでした。しかし、ペテロやパウロは異邦人にも聖霊が下るのを見て、神様の御心は、ユダヤ人だけではなく、全ての人に救いの恵みがあることを体験したのです。後に、このことを通して、異邦人教会が世界中に広がって行ったのです。

3、結論

では、私たちにとって福音はどのように良い知らせなのでしょうか。もし、イエス様が私たちの罪の身代わりとして十字架の上で死なれなかったとしたら、私たちの罪の問題はどうなっていたでしょう。ユダヤ人たちは熱心に旧約聖書を研究し、膨大な戒めを守ることによって救いを得ようとしました。しかし、どんなに努力しても、罪の問題を解決することはできませんでした。人間の努力ではこの罪の問題を解決することはできません。それゆえ、イエス様は神の子であられるのに、人として生まれ、十字架の上で死んでくださったのです。もし、他に救いの方法があるならば、神の子であるイエス様が、あえて人として生まれることはなかったでしょう。ましてや、神の子が十字架で苦しむ必要はなかったのです。十字架のイエス様の苦しみは、私たちの罪の重さをあらわしています。罪が赦されるために、あれほどの苦しみを受けなければならなかったのです。私たちはその苦しみからイエス様によって助けられたのです。どれほど大きな恵み祝福でしょうか。また、ペテロとパウロが異邦人の救いを体験しなければ、救いはユダヤ人だけに留まっていたかもしれません。神様の御心はペテロとパウロによって表され、異邦人教会が世界中に広がって行ったのです。イエス様が生まれてくださらなければ、私たちに神様の救いの計画は、届かなかったかもしれません。イエス様の誕生と十字架の死、そして、イエス様の復活は、私たちはどれほど大きな祝福でしょう。それこそが福音であり、良き知らせ、ユーワンゲリオンなのです。この祝福は、お金をはらっても得ることができません。ただ、神様の恵みを信じる者にだけあたえられる、神様からの一方的な祝福なのです。