永遠のいのちを得るために

「永遠のいのちを得るために」ヨハネの福音書3章16節

クリスマスの日には、クリスマスツリーやクリスマスリースを部屋に飾ります。イースターの日には玉子に色をつけて飾ります。それをイースターエッグと言います。なぜ、イースターに玉子を飾るかというと、イースターのテーマが「いのち」だからです。聖書では二つのいのちについて書かれてあります。一つはこの地上での命と、もう一つは永遠の命です。永遠の命と言っても、この地上で永遠に暮らすという意味ではりません。天の御国で永遠に暮らす命のことです。

1、ニコデモとイエス様。(ヨハネの福音書3章)

ある夜、イエス様の所にニコデモと言う人が訪ねてきました。彼はユダヤ教の指導者でした。イエス様は彼に言われました。3節「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国にを見ることはできません。」当時、すでにユダヤ教は確立され旧約聖書の戒めを守ることによって天国に入ると信じていました。しかし、どの戒めを守れば天国に至るかという事では意見が分かれていたのです。そこで、ニコデモはどの戒めを守ることが天国に至るのかを聞きにイエス様の所に来たのです。そして、イエス様はそのことをすでに知っておられたので、ニコデモがイエス様に質問する前にイエス様は彼にその答えを話されたのです。ニコデモはイエス様が言われた「新しく生まれる」という意味を「新しく生まれなおす」と理解して、「どうやってもう一度母の胎内にはいることができますか」と答えました。イエス様はニコデモにわかるように次のように言いなおされました。5節6節「まことに、まことに、人は、水と御霊によって生まれなければ神の国に入ることはできません。肉によって生まれたものは肉です。御霊によって生まれたものは霊です。」

2、水と御霊の意味。

イエス様がニコデモに言われた「水と御霊によって」とは、水はバプテスマ(洗礼)を意味しています。すでに、バプテスマのヨハネは群衆に罪を悔い改めて洗礼を受けるように教えていました。洗礼とは、今までの罪を悔い改めて身を水で清めることを意味しています。しかし、それは体の汚れを清めるだけで魂までは清めることはできません。そこで、御霊によるとイエス様は言われたのです。御霊によってとは神様の恵みによると言う意味です。イエス様が言われた「肉によって生まれたものは肉です」とは、人間の努力では神の国に入ることができないという意味です。ユダヤ教では神様の戒めを守ることによって天国に入ると教えていましたが、イエス様は、人間の努力では決して天国に入ることはできないといわれたのです。ニコデモはイエス様の言葉を理解できたでしょうか。ニコデモはイエス様にこのように答えています。9節「どうして、そのようなことがありうるでしょう。」ニコデモはイエス様の話された言葉の意味を理解することができませんでした。

3、青銅のヘビと十字架のイエス。

イエス様はここでニコデモに対して旧約聖書の出来事をお話になられました。14節「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまたあげられなければなりません。」これは旧約聖書の民数記21章の出来事です。イスラエルの民が荒野で食べ物がない事でモーセに逆らった時、神様はイスラエルの民に燃える蛇を与えられたました。蛇はイスラエルの民を襲いイスラエルの多くの民が死にました。そこでイスラエルの民はモーセに助けを求めました。そしてモーセが神様に祈ると、神様は青銅の蛇を作りそれをはたざおの上につけなさいと命じられたのです。蛇にかまれた人が青銅の蛇を仰ぎ見れば生きたとあります。つまり、蛇にかまれても、モーセが掲げた青銅の蛇を仰ぎ見るならその人は助かったのです。ヨハネの福音書3章14節の「人の子」とはイエス様のことです。人の子が上げられるとは、十字架に付けられて殺されるということです。同じように、十字架のイエス・キリストを仰ぎ見ることによって人は生きるとイエス様はニコデモに言われたのです。15節「それは、信じる者が、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

4、永遠のいのちを得るために。

ユダヤ教の考えでは、人は神様の戒めを完全に守ることによって天の御国に入ると考えていました。それで、どの戒めをどのように守れば良いのかが議論されていたのです。しかし、イエス様の考えでは、人はどんなに努力しても神の戒めを完全に守ることができない。それゆえ、神様の助けがいるという考えです。16節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」先程の、青銅の蛇の場合、神様の約束の言葉を信じて、青銅の蛇を仰ぎ見た人は助かったのです。それと同じように、十字架のイエス・キリストを救い主と信じるなら私たちの罪は赦され天国に至るのです。大切なことは神様の約束の言葉を信じるということです。日本人の多くの人々は死んだ後、天国に行くと信じています。しかし、聖書は罪あるものは天の御国に入ることができないと教えています。天国は神様のおられる国です。罪ある人間が罪の無い神様と共に住むことはできないのです。旧約聖書の時代神様はモーセを通して罪が赦されるために動物の血(いのち)をささげるように命じました。しかし、動物の命は人間の命の代わりにはなりませんでした。人間の罪が赦されるためには人間以上の命が必要でした。その命とは、神の命です。神はご自身のひとり子を人として誕生させ、十字架の上で私たちの罪の身代わりとされたのです。それゆえ、私たちはイエス様を通してのみ永遠の命を得ることができるのです。神は私たちを天の御国に入れてくださるために、ひとり子イエス様の命を私たちの罪の身代わりとしてくださったのです。神はなぜ、それほど大きな犠牲を払ってくださったのでしょうか。それは、神様が私たち人間を愛しておられたからです。十字架は神様の愛のしるしとなりました。また、イースターの玉子はイエス様が新しい命によみがえったことのしるしとされたのです。また、神様は私たちにもこの新しい命、永遠の命を与えてくださると約束してくださったのです。イースターのお祝いは、イエス様が死より三日目に復活されたことを祝うお祭りですが、また、神様が私たちに永遠の命を与えてくださることを約束してくださったことへの感謝のお祭りでもあるのです。