神の約束を信じたマリヤ

「神の約束を信じたマリヤ」ルカの福音書1章26節~38節

今年もアドベントの時を迎えました。アドベントはイエス様の誕生を祝うクリスマスの日を迎えるために心を備える時です。これからの四週間、私にとってクリスマスはどういう意味を持つのか、そのことを考えて過ごしたいと思います。

クリスマスの出来事で、イエス様以外で、一番の主役を務めるのは、イエス様の母マリヤです。カトリック教会では、聖母マリヤとイエス様の母マリヤを、イエス様と同じように高く讃えています。しかし、プロテスタント教会では、マリヤのことを救い主の母として、尊敬はしますが、イエス様と同じようにはマリヤを讃えることはありません。マリヤも私たちと同じ弱さを持つ人間であり、私たちと同じ罪人です。私たちがマリヤを尊敬するのは、神様の召しに応え、救い主の母となることを信仰で受け留められたからです。御使いはマリヤの前に現れたとき「恵まれた方。」と彼女を呼びましたが、決して救い主の母となることが祝福だけではありませんでした。命を取られる危険があったのです。それでも、マリヤは神様のことばに従いました。私たちはその姿に尊敬される信仰者の姿を見るのです。

当時、マリヤはヨセフとの婚約の状態でした。(ユダヤでは婚約の期間も法的に夫婦と認められていました。)女性にとっての一番の幸せは、好きな男性と結婚して幸せな家庭を築くことです。マリヤもヨセフとの新婚生活を夢見てそのために準備していました。そんな幸せを夢見る少女の前に、神様から遣わされて御使いが現れたのです。28節「御使いは、入って来ると、マリヤに言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。』」マリヤは御使いを見てひどくとまどったとあります。御使いはさらに彼女に言いました。30節~33節「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」マリヤは驚いて御使いに答えました。34節「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ、男の人を知りませんのに。」マリヤの驚きは二つあります。(1)マリヤはヨセフとの婚約状態にあり、男性と女性の関係を持つことがまだ許されていませんでした。そんな状態で男の子を産むことは不可能である。(2)ユダヤ人が待ち望んでいた救い主の母に自分がなるということ。だれもが考えられない事でした。神様のことばを信じられないマリヤに御使いは言いました。35節「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」37節「神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは御使いに答えました。38節「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりになりますように。」彼女は御使いのことばによって処女の自分が男の子を産むことを理解できたのでしょうか。理解出来なかったと思います。彼女は御使いのことばを理解できたから救い主の母となることを引き受けたわけではありません。ただ、彼女は御使いが言ったことば、「神にとって不可能なことは一つもありません」という言葉を信じて、神様の召しを受け入れたのです。しかし、このマリヤの決断は大きいなリスク(危険)を含んでいました。自分が処女で男の子を身ごもることによって、(1)ヨセフとの結婚がだめになってしまう。(2)姦淫の罪で殺されるかもしれない。この時、マリヤは16歳か17歳と考えられます。そんな若さで、マリヤはこの恐ろしい出来事を想像しながら、神様の計画を受け入れたのです。どうして、マリヤはそんな危険を知っていながら、神様の計画を受け入れることができたのでしょうか。そこに、彼女の信仰の素晴らしさがあります。彼女は、必ず神様がそんな危険から自分を守って下さると信じたのです。神様もそのことをご存知で、婚約者のヨセフにも夢で現れて、マリヤの妊娠が神様の計画であることを告げました。また、ヨセフも信仰によって神様の計画を受け入れたのです。救い主が人として誕生するためには、一人の処女の女性の協力が必要でした。また、神様の計画を信仰で受け留める男性の存在も必要だったのです。救い主が生まれるためには、マリヤとヨセフという信仰深い二人が必要とされたのです。

マリヤとヨセフは救い主の母と父となるために、神様に選ばれた二人でした。私たちは、偶然に生まれたものではありません。神様の選びと目的を持って生まれました。私は、中学生の頃、自分の生まれた目的について深く考えました。自分は何のために生まれたのか。その時には答えを見出すことが出来ませんでした。その後、25歳で教会に通うようになり、聖書の中にその答えを見出しました。人は偶然に生まれたものではなく、神によって生み出されたものであることを。そして、神様は私たち一人一人に使命をお与えになられました。私には、牧師になるという使命。教会に来るまでは考えたこともありませんでしたが、神様は御ことばを通して、個人的に私に語りかけて下さました。一人一人、神様から与えられた使命は違いますが、神様が私たち一人一人をご覧になって、一番ふさわしい使命を与えて下さいます。また、その時がいつであるかはわかりません。旧約聖書のモーセは40歳の時に、イスラエルの民の苦しみを見て、彼らを苦しいから解放しようと働きましたが、まだその時ではなく、イスラエルの民はだれもモーセを認めませんでした。モーセが神様から使命を頂いたのは彼が80歳の時でした。モーセが神様のために働くためには、モーセが80歳になるまで待たなければならなかったのです。

処女マリヤのもとに、神様から遣わされた、御使いの伝えたマリヤへの使命は、彼女に死を覚悟させる大きな決断を必要とするものでした。しかし、マリヤは信仰を持って神様の召しを受け取りました。そこには、神様への信頼があったからです。神様は私たちにも同じように使命を与えられます。私たちも、マリヤのように、神様の愛を信じ、神様のことばに従う者になりましょう。