ヨナのしるし

「ヨナのしるし」ルカの福音書11章29節~32節

当時のユダヤの人々は、熱心に旧約聖書を読み、旧約聖書で約束された救い主メシヤを待ち望んでいました。彼らが待ち望んだメシヤは、モーセのような偉大な指導者であり、奇跡を行う人。または、ダビデのような勇敢な王の姿でした。しかし、神様が私たちの救いのために与えられたお方は、大工の息子であり、十字架で殺された犯罪者の姿でした。ユダヤ人たちが求めていた救いとは、ローマの支配から助け出す救い主でした。しかし、神様が送られた救い主は、私たちを罪から救う救い主でした。その違いは大きく、結局、ユダヤ人たちは、その違い故に、イエス様を受け入れず、十字架に付けて殺してしまったのです。

ユダヤ人たちは、モーセのような指導者を求め、また、モーセが行ったような奇跡を求めました。イエス様も、数々の奇跡を行いました。しかし、その奇跡は、ユダヤ人たちが求めたような奇跡ではありませんでした。そこで、イエス様はこの箇所で、救い主がこの世に示す奇跡とは何かをお話になられたのです。

(1)ヨナのしるし

ヨナは、紀元前780年代に北イスラエルの国で活躍した預言者です。当時、北スラエルの国は、アッシリヤという大きな国の脅威にさらされていました。そのような状況で、神様は、ヨナにニネベの町に行き、神様の裁きが下ることを預言するように命じられたのです。ニネベの町とは、アッシリヤの国の大きな町でした。その神様の命令を受けたヨナはどうしたかと言うと、神様の命令に逆らって、他の町に船で逃げようとしたのです。ヨナはニネベの町の人々が怖くて逃げたわけではありません。自分がニネベの町の人々に、神様の裁きの預言をし、ニネベの人々が悔い改め、神様の裁きから助けられるのががまん出来なかったのです。ヨナにとってニネベは敵の国、北イスラエルの国にとって、ニネベの町は滅んだほうがためになると考えたからです。

しかし、神様はヨナを離しませんでした。神様はヨナの乗った船に大風を吹きかけ、海は暴風雨となり、船は難破しそうになりました。人々は神様に助けを求めました。また、誰のせいでこのような危機に陥ったのかを知ろうと、くじを引きました。すると、そのくじがヨナに当たり、ヨナは自分が神様から逃れてこの船に乗船したことを人々に告げたのです。また、彼は、この船が助かるために自分を海に投げ込むように命じました。人々がヨナのことばに従い、彼を海に投げ込むと風はやみ海は静かになったのです。また、神様はヨナのために大きな魚を用意されました。ヨナは三日三晩、魚のお腹の中で悔い改め、神様はヨナをニネベの町に吐き出させたのです。ヨナはニネベの町を歩きながら神様の裁きについて預言しました。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて、王様から家畜に至るまで断食したとあります。神様はニネベの人々の姿を見てニネベの町を滅ぼすことを思いとどまられたのです。

このお話で大切なことは、ニネベの人々が、ヨナの説教を聞いて悔い改め、神様は彼らの罪を赦し、彼らを救われたという事です。ニネベの人々はヨナの説教に耳を傾け滅びから救われたのです。32節「ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりまさった者がいるのです。」イエス様は預言者ヨナよりまさった神の子です。しかし、ユダヤ人はイエス様の説教に耳を傾けることなく、罪を悔い改めることがありませんでした。それゆえ、裁きの時、ニネベの人々が、イエス様を信じなかったユダヤ人を罪に定めるとイエス様は言われたのです。

(2)南の女王

イスラエルの国は、ダビデの子ソロモンの時代が一番栄えた時代と言われます。ソロモンは、神様に、富や力,権力ではなく、イスラエルの民を導く知恵を求めました。神様はソロモンの願いを聞き届け、ソロモンはイスラエルの王の中で一番知恵のある王と言われるようになったのです。ソロモンの時代、ソロモンの名声は広く世界に知れ渡るようになりました。イエス様がここで言われた、南の女王とは、シェバの女王で、旧約聖書の列王記第一の10章に登場する女王です。彼女は、現在のサウジアラビヤに当たる国の女王で、ソロモンのうわさを聞き、本当に、ソロモンがうわさどおりの知者か確かめるために、はるばる砂漠を超えて尋ねに来たのです。

31節「南の女王が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、彼らを罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」とあります。イエス様はソロモン以上に知恵のあるお方です。しかし、当時の人々はイエス様の知恵を知ろうともしませんでした。それゆえ、南の女王が彼らを裁くと言われたのです。

二つのお話を考えると、イエス様の説教は、ヨナよりもまさったものでした。また、イエス様はソロモンよりも知恵のあるお方です。しかし、ユダヤ人たちは、イエス様の説教も聞かず、イエス様の知恵も知ろうとしなかったのです。ここにユダヤ人の大きな罪があるとイエス様は言われたのです。私たちは、どうでしょうか。私たちは何によって救いを得ることができるのしょうか。それは、聖書の言葉によってです。私たちは、奇跡や預言や夢、幻によってイエス様を信じる者ではありません。神様はそのために、ひとり子イエス様を人としてこの世に遣わし、私たちに聖書を与えてくださったのです。