ペンテコステ・教会の誕生日

「ペンテコステ・教会の誕生日」使徒の働き2章1節~13節

今日は、ペンテコステの記念日です。ペンテコステの日を聖霊降臨日と呼ぶことがあります。イエス様が死より三日目に復活した後、40日の間、イエス様は復活された体を弟子たちに示し、天に昇って行かれました。その際、イエス様は弟子たちに4節「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさいと。」と言われました。また、ルカの福音書24章49節では「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたはいと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」と言われました。使徒の働き1章8節にはこうあります。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」聖霊が弟子たちに降ることは父なる神様の約束でした。その約束の聖霊が、この五旬節の日に現実に弟子たちに降ったのです。五旬節の日は過越しの祭りから数えて50日目の祭りという意味で、七週の祭りとも呼ばれていました。また、この七週の祭りと過越しの祭りと仮庵の祭りはイスラエルの三大祭りと呼ばれ、成人した男性はすべて、エルサレムの神殿に宮参りに集まらなければならないと定められた大切なお祭りの日でした。それゆえ、この五旬節の日には、外国から集まったユダヤ教徒で町はにぎわっていたのです。

そんな特別なお祭りの日に弟子たちに聖霊が降りました。すると弟子たちは聖霊に満たされて、突然、本人も知らない外国語で、神の大きなみわざを語りだしたのです。それを聞いた外国から来た人々は驚きました。7節8節「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちがめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。」そして、その光景は異様に見え、ある者たちは弟子たちが酒に酔っぱらっているのだとあざ笑う者たちもいました。ペテロはこの状況で一人立ち上がり、人々の前でこの状況を大声で説明しました。15節「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。」朝の九時はユダヤ教に定められた祈りの時間です。それゆえ、そのような時間にお酒に酔うなどありえないと、酔っぱらっていると弟子たちをあざける者たちに反論しました。また、ペテロは、この状況を旧約聖書のヨエル書の預言の成就だと説明しました。(17節~21節)次にペテロはイエス様の復活について述べています。また、イエスの復活は、旧約聖書に登場するイスラエルの王ダビデの預言の成就だと説明しました。ペテロの説教を聞いて人々はどう思ったでしょうか。37節「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。』と言った。」とあります。38節そこでペテロは彼らに答えて言いました。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊をうけるでしょう。」そして、その日に三千人がバプテスマを受けて弟子に加えられたとあります。それゆえ、教会ではこの日を教会の誕生日と定めたのです。

では、弟子たちはイエス様の約束を受けて、サマリヤの全土、地の果てにまで福音を携えて宣教の働きを始めたでしょうか。実は、彼らは初め、その約束を守ることができませんでした。弟子たちはユダヤ教の教えに縛られて、異邦人(外国人)に近づこうとはしなかったのです。キリスト教も初めの頃は、ユダヤ教の一宗派と見られていました。ユダヤ教とキリスト教の大きな違いは、ユダヤ教はユダヤ民族の救いであって、外国人と親しくすることを禁じていました。また、外国人がユダヤ教徒になる場合、その本人がユダヤ人にならなければ受け入れられませんでした。(割礼を受け、律法を守る)しかし、キリスト教の場合は、民族に関係なく、イエス・キリストを救い主と信じるならば、誰でも救われるという教えです。イエス様は初めから異邦人(外国人)の救いを考えていましたが、ユダヤ教に縛られた弟子たちには理解できませんでした。聖霊が弟子たちに降った時、弟子たちが外国の言葉で神の大きなみわざを語り始めたのは、この救いがユダヤ人だけではなく、世界中の人々に与えられることを示した奇蹟ではないかと思います。この後、パウロが登場し、異邦人伝道が始められ世界中にキリスト教が広められました。しかし、それは、初めからの神様の計画だったのです。

アライアンスのグループは世界宣教を目的として作られた宣教団体です。私たちは多くのアライアンスの宣教師の方々に助けられてきました。アライアンスの日本での宣教の働きは120年の歴史を持っています。今から100年前を想像してください。アライアンスの宣教師たちは船に乗って太平洋を越えて日本に来られたのです。初めの宣教地は、広島の庄原でした。明治の頃の広島の人々にとって、宣教師は異様に見えたのではないでしょうか。初期の宣教師たちに住まいを提供する人々も少なく、苦労が多かったと聞きます。また、日本語は外国人にとって難しい言葉だと聞きます。彼らは日本語で神様のことばを伝えるために一生懸命日本語を勉強したのです。また、彼ら宣教師だけではなく、彼らを送り出しているアライアンスの教会の人々の祈りもあります。彼らは、見たことも行ったこともない人々のために祈り、献金を捧げてくださいました。私たちの教会はそのような、祈りと捧げものによって生まれた教会です。そのようにして生まれた教会の使命は何でしょうか。同じようにこの教会から宣教師を送ることです。日本で最初に宣教師を海外に派遣したのが日本アライアンス教団です。しかし、現在、一人も海外に宣教師を派遣していないのが現状です。確かに、日本人牧師が少なく、兼牧している教会がいくつかあるのが現状です。日本の教会に牧師が少ないのに、海外に宣教師を派遣するなど不可能だと言われています。しかし、実は、牧師と宣教師の働きは違います。また、宣教師を海外に派遣することは神様の御心です。私たちの教会は、ロング宣教師ご夫妻、クラップ宣教師ご夫妻にお世話になりました。二人の先生方の第一の目標は、会堂を建てることでした。この小手指の地に根を下ろして宣教の母体を築くことでした。その目的は達成しました。次の目標は、この教会から教会を生み出すことと、宣教師を送ることです。現状では不可能に見えますが、神様の働きに不可能はありません。私たちが神様に祈り求めるなら、扉は開かれます。ぜひ、そのことを覚えて、お祈りしましょう。