死は終わりではありません。
死は、誰にでも公平に訪れます。お金持ちにも貧しい者にも。古来、王様や皇帝は自分の権威を維持するために、不老不死を求めました。しかし、今日に至るまで、死から逃れた者は誰もいません。
人が偶然に生まれ、肉体だけの存在ならば、人は死んで終わり、火葬されて地に埋められるだけです。この地上に未練はあっても、それほど恐怖は感じないでしょう。死の本当の恐ろしさは、死んだ後に私たちの魂がどうなるのかわからないところにあります。世界中にはたくさんの宗教があり、多くの宗教が魂や霊魂の存在を信じています。また、死後の世界についての教えがあります。
キリスト教では、唯一の神が存在し、天地全てを創造され、神は私たちをも創造してくださったと教えています。私たちの命は神様から与えられ、死後、私たちの魂は神のもとに引き上げられます。そして、終わりの日の神様による裁きの時を待つことになります。それを、最後の審判と呼びます。その時、すべての者は神様の前に立たされ、自分の行いによって裁きを受けると聖書に記されています。神が裁かれる罪は、人殺しや盗みだけではありません。怒りや憎しみ、妬みなどの私たちの心の中の悪い考えも罪に定められます。なぜなら、神様は私たちの心の中を見られるからです。そう考えると、すべての人が罪人として神から裁きを受け、誰も天国に入ることができません。
そんな罪人の私たちのために、神の子イエス・キリストは人として誕生され、私たちの罪の身代わりとして十字架の上で死んでくださったのです。また、イエス・キリストは人として生まれても、本質は神と同じ性質を持って生まれた故、死より三日目に復活され、天に昇って行かれたのです。それを記念として、教会でお祝いするのがイースターです。今年は4月16日(日)に日本中の教会でお祝いが持たれます。神は、イエス・キリストの十字架の死ゆえに、イエス・キリストを神の子と信じる者の罪はすべて、ゆるすと約束して下さいました。それゆえ、私たちキリスト者にとって、死は終わりではありません。天国での新しい生活の始まりの日となるのです。このことについて、もっとお知りになりたい方はぜひ、教会にお越しください。いつでも、歓迎いたします。