自分の性格を変えたいと思っている方にひとこと
自分の性格が嫌いな人、自分の性格を変えたいと思っている人は多くいます。私自身も子どもの頃からおとなしい性格で、クラスの中に居るかいないかわからない、存在の薄い者でした。新しくクラスが変わる時には、いつも、今年こそは積極的な者になろうと努力しますが、それも、6月7月になると疲れてしまい、元の消極的で、いるかいないかわからない存在になってしまいました。
性格を分析する時、気質(テンプロメント)性格(キャラクター)人格(パーソナリティー)の三つに分けて考えます。気質とは、生まれたときにすでに備わっている性質です。先天的で変えることができません。この気質を核に、育った環境、家族関係、生まれた国、地域の影響を受けて性格が形成されていくと考えられています。おもに3歳から6歳までにある程度の性格は形成されると言われています。それゆえ、長年かけて身に着けた性格をそう簡単に変えることは出来ません。また、人格とは、その人の気質、性格を含めた、その人自身を人格と呼びます。主に、その人の行動、対人関係、物の考え方というものは、気質を核として、身に着けた性格を元として外側に現れる反応と考えられます。それゆえ、性格は変えることは出来ませんが、自分の性格の傾向を知ることによって、人格が変えられ、自分の行動パターンや対人関係を変えることは可能になります。
元々、性格には裏表(プラスの面とマイナスの面)があります。たとえば、おとなしい性格には、消極的というマイナスの面があると共に、慎重な面が備わっています。行動的な人は、積極的というプラス面があると共に、軽率な側面があることは否定できません。そのように、自分の性格を変える努力をするよりは、自分の性格を知り、プラスの面で物事を考えたり、行動することによって人格を変えることができます。
神様は、私たちを愛し、私たちにふさわしい性格を与えてくださいました。しかし、私たちが神様を知らなければ、本当の自分の価値というものに気付くことはありません。世の価値観は、人をその能力で量ります。できる、できないで、その人を評価します。しかし、それは、絶対的な評価ではなく、相対的な評価でしかありません。その人の本当の価値を評価するのは、私たちに命を与えてくださった神様だけです。その神様が、あなたを高価で尊いと評価しています。私たちは神様の目に高価で尊い存在なのです。このことについて、もっとお知りになりたい方は、ぜひ、教会にお越しください。お待ちしております。牧師:久富昭彦