命の尊厳と価値について
人の命に価値の上下はあるのでしょうか。人の命を能力や働いて得た収入だけで評価するなら、高価な命と、価値のない命に分けることができます。それは、年収を見れば明らかです。年収一億を稼ぐ人の命の価値は高く、何の稼ぎの無い病人や障がい者の命というものは、価値が0となってしまいます。そのような極端な考え方を持たなくても、私たちは自然とそのような価値基準で人や自分を評価しているのではないでしょうか。
自然界の動物の世界では、けがをした仲間は群れ全体が生き延びるために置いていかれるという話を聞いたことがあります。もし、私たちが、年老いた老人や障がい者を助けずに見捨てたとするなら、自然界の動物と何ら変わらない存在であることの証明であると言えます。
では命の尊厳、価値というものはどのような基準で考えれば良いのでしょうか。以前は日本でも子供の誕生というのを、天からの授かりものという考えがありました。人の誕生は、偶然ではなく、造り主、命を与えてくださる神様がおられることを漠然と信じていました。しかし、今は、多くの人が神を抜きにして、男女のいとなみによってのみ、人は生まれると考えています。そこで、日本では多くの男女が自分たちの都合で、幼い命を奪っています。特に現代では、科学の進歩により、生まれる前に高い確率で、障がいを持って生まれるかどうかを判断することができるようになっており、その検査で障がいを持つと判断された子の両親の多くが、中絶手術を選ぶという話を聞いたことがあります。どの程度の障がいを持って生まれるのかは、誰も判断することはできません。また、その子がどんな人生を歩むかもわからないのに、検査で障がいを持つ可能性があると評価されただけで、その子の命は奪われてしまいます。
聖書は、神様が天地を創られ、私たちに命を与えてくださったと教えています。また、神様は私たち一人一人を高価で尊いと証言しています。私たちの命の価値は、私たちは偶然に何の目的もなく生まれたのではなく、造り主がおられ、その神が私たちに命を与え、高価な者として扱ってくださるから、全ての人の命は、等しく高価で尊いものです。人がどうあなたを評価しようと、あなたに命を与えてくださった神様があなたを大切で、高価な命だと評価してくださるのです。