恵みの雨と自然災害

雨の日が多くなる時期になりました。雨の日は人の心を暗くし、憂鬱にします。雨の日が好きだという人はあまりいないでしょう。しかし、農家にとって雨は不可欠で、聖書の中にも「恵みの雨」という言葉もあります。また、イスラエルの国は時期によって雨期と乾期に分けられます。それでも全体的に雨量の少ない国です。以前、イスラエルの国に旅行に行ったとき、農作物に水を掛けるスプリンクラーを多く見かけました。

しかし、その「恵みの雨」も大量に降り、また、雨の日が多く続くと自然災害を引き起こします。自然災害の前に人間の知恵や力は無力に見えます。東北大震災の時、津波が町に押し寄せる映像を何度も見て、自然の力の大きさに驚異を感じました。

イエス様は、ご自分のお話が人々に理解されやすいように、たとえ話を多く用いられました。ある時、イエス様は群衆にこのような、たとえお話をされました。「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」(マタイの福音書7章24節~27節)このたとえ話で、イエス様は家については何も言われていません。問題としたのは土台です。外から見た限りでは、岩の上の家も砂の上の家も違いはわかりません。その違いがはっきりと現れたのは、洪水によってです。洪水が押し寄せても、岩の上に建てられた家は倒れませんでした。しかし、砂の上に建てられた家は土台が軟弱なためにひどい倒れ方になりました。イエス様がここで群衆に教えようとしていることは何でしょうか。それは、私たちの生きる土台は何かということです。多くの人々がお金に頼って生きています。確かにお金があれば、好きな物が買えて便利な生活はできます。しかし、お金で全ての問題が解決するわけではありません。健康はお金で買えません。また、お金で死の問題も解決できません。それこそ、お金が頼り(拝金信仰)は砂の上に建てられた家の様です。神様は天地の創り主、すべてを支配していられます。その神様を信じることが、揺るぎのない岩の上に建てられた家なのです。このことについてもっとお知りになりたい方はぜひ、教会にお越しください。お待ちしております。