自分自身のことを愛していますか。
人は3歳までに性格が決まると言われています。特に、0歳から1歳の間で、人は人を信頼することを学ぶと言われています。赤ちゃんにできることは泣くことだけです。泣くことで、お腹がすいていること、おしめが濡れて気持ちが悪いことを母親に訴えます。ここで母親が適切なケアをしないと、母親に対して不信感を持つことになります。また、スキンシップも大切なことです。子供は母親に抱かれて、自分が母親に愛されていることを感じます。この信頼関係が次に迎える幼児期のしつけに大きな影響を及ぼすことになります。母親との信頼関係ができているなら、親の言葉に耳を傾け、受け入れることができますが、信頼関係が希薄であるなら、こどもは素直に母親の言葉に耳を傾けないばかりか、わがままで自分中心な行動が目立つようになります。さらに青年期に達すると、その差は大きく表れます。乳児期(0歳~1歳)に十分の母親に抱かれ、愛された体験がある人は、心に安定感があり、人を愛したり、信頼関係を結ぶことも自然にできるようになります。しかし、乳児期に十分に母親の愛を受けないで、青年期を迎えた場合、心の安定を欠き、人を愛したり、信頼することが難しい性格を持つことになります。
自分自身のことを振り返ると、中学校、高校生の頃、人を信頼したり、愛することができませんでした。自分さえ愛することができずに、自分などこの世に存在しない方がいいと考え、生きることに喜びを感じることができずに、死ぬことばかり考えていました。社会に出てからも、人を素直に信じることができずに、人に騙されないように気を付けていました。また、人の不幸を心の中で喜び、困っている人がいても助けようともしませんでした。
乳幼児期のことは誰も覚えていません。自分の性格から考えるなら、乳幼児期に十分に母親の愛情を受けて育てられたか、そうでないかをある程度、推測することができます。しかし、私たちは、過去に戻って育て直すことはできません。しかし、大人になってから自分の性格を変える方法が一つだけあります。それは、神様と出会い、神様に愛されることです。私は、25歳で初めて教会に行きました。その当時の私の性格は、人を信じることもできず、自分を愛することもできませんでした。そんな時、聖書の言葉を通して、自分が神様に愛されていることを知りました。しかし、初めはそんな言葉を信用しませんでした。しかし、それでも教会に通い続けることによって、本当に、神様の目に私という個人が、高価で尊いものであることを知りました。私は神様に愛されて始めて、自分の存在をそのままで愛することができるようになったのです。