自分の命を犠牲にする神の愛
2月14日は、バレンタインデーです。日本では女性が好意を寄せている男性にプレゼントを渡して、自分の気持ちを相手に伝える日となっています。愛と一言に行っても、色々な愛の形があります。新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、その中で愛という言葉が三つのことばで表されています。(1)エロス(男女の愛)(2)フィレオー(家族や友情)(3)アガペー(神様の愛)です。ここで言われているアガペー(神様の愛)とは一方向で見返りを求めない愛だと言われています。私たちの愛は、相手に見返りを求める愛です。バレンタインデーにプレゼントして、3月14日のホワイトデーに相手の男性から何のお返しもないと、憤慨したり、二度とプレゼントなどしないと思ってしまいます。
親が自分の子を愛する愛も、神様の愛に似ていて、一方的に与える愛です。ドラマの中で、子どもをかばって親が自分の命を犠牲にする場面を何度か見たことがあります。それほど、親にとって我が子は大切な存在です。それこそ自分の命を犠牲にしてもこどもの命を助けたいものです。聖書のことばの中に、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」とあります。自分の子のためには、自分の命は犠牲に出来ても、他人を助けるために自分の命を犠牲にすることは、なかなかできないことです。実は、イエス・キリストの十字架の死は、私たちの罪の身代わりの死でした。私たちは罪を持ったまま天国に入ることは出来ません。それゆえ、神の子(罪が無い)イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとして、ご自分の命を犠牲にしてくださり、神様の救いのご計画を完成してくださったのです。今、私たちが自分の罪を認め、イエス・キリストを神の子と信じ、イエス・キリストの十字架の死が自分の罪の身代わりであることを信じるなら、私たちの罪は赦され、天国に入ることができるというのが聖書の約束です。
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のため に死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」
(聖書:ローマ人への手紙5章6節~9節)