三月は卒業のシーズンです

 

少しずつ暖かくなり、春の気配を感じるようになってきました。学校では卒業式の準備に忙しい時期です。先生や友達と別れるのは悲しいことです。しかし、生きていればどこかでまた会うことが出来ます。二度と会うことのない別れがあります。それが「死」です。死は年齢に関係なく訪れます。私たちが偶然に生まれた者であるなら、死も偶然に訪れることになります。聖書は、神が天地すべてのものを創造され、人に命を与えられたと記しています。私たちは偶然に生まれた者ではなく、創造主神がおられ、神が私たちに命を与えてくださいました。また、私たちの命は神の御手の中にあり、命の終わりの時も神によって定められています。

人は死んだ後、どうなるのか誰もわかりません。ある人は、死後の世界は無い、「無」だと考えている人もいます。この地上だけの命で、死んだ後は何もない、天国も地獄もないと考えます。聖書では、イエス・キリストを神の子と信じる者の罪は赦され、天の御国で永遠に神と共に暮らすと教えています。では、信じない者はどうなるのか、自分の犯した罪のために神の裁きを受けなければならないと教えています。神は愛の神であると共に、罪を公平に裁く権威をお持ちの方です。神は愛ゆえに、すべての人を天国に招きたいと思っています。しかし、神は人の罪を正しく裁かなければならないお方です。この問題を解決するために、神はひとり子、イエス・キリストを一人の女性マリヤから誕生させ、私たちの罪の身代わりとして、十字架の上で命を奪われました。しかしイエス・キリストは神の子ゆえに、死より三日目に復活され、弟子たちにその姿を示し、天に昇って行かれたのです。

私たちクリスチャンは罪がない者ではなく、罪が赦された者です。イエス・キリストは神の姿を捨てて、人として誕生され、一度も罪を犯さなかったのに、犯罪者として十字架で殺されました。しかし、イエス・キリストは神の子ゆえに死より三日目に復活され天に昇って行かれ、今も生きて私たちを助けて下さるお方です。また、死は終わりではなく、天国で再開できる希望があります。死は突然、訪れます。私たちはどのように死に備えるべきでしょうか。イエス・キリストを神の子と信じる者には天国が約束されています。あなたもこの神の約束を信じてみませんか。神様のこと、聖書についてお知りになりたい方は、ぜひ、教会にお越しください。お待ちしております。牧師、久富昭彦