「人間の目と舌の不思議」
秋は山々が彩り、目を楽しませてくれます。しかし、調べてみると、人間だけが色彩豊かに物を見ることが出来るそうです。他の生き物、犬や猫、牛や羊は、それぞれ色の見え方が違うと書いてありました。色鮮やかな紅葉も、牛や羊は赤色が認識できないゆえに灰色にしか見えないそうです。よく闘牛で牛を興奮させるためにムレータという赤い布を使いますが、あれは赤い色が牛を興奮させるのではなく、牛の目の前で布を動かすことによって、牛を興奮させるのだそうです。実際、牛は赤色が認識できないので、黒や灰色の布を使っても同じ効果があるわけですが、実は、赤色の布を使うことによって、見ている人を興奮させるために、ムレータという赤い布を使うそうです。
また、秋は食欲の秋で、色々な食べ物が私たちの食欲を満たしてくれます。私たちは舌で、色々な味覚を感じるのですが、もし、舌がなく、私たちが色々な味覚を感じないとしたら、どれほど、食欲を無くすでしょうか。実際、私たちは、目で見て、鼻でにおいをかぎ、舌で味わいます。いろどりがわからず、においもせず、味覚もなければ、食べる喜びも感じません。
人間の体を詳しく見るならば、その調和に驚きます。私たちは、目が見えること、音が聞こえること、話ができることを当たり前のように感じていますが、このような調和のとれた体が偶然に生まれるのでしょうか。聖書は神が人を創造したと記されています。私たちは直接、創造主である神をこの目で見ることはできません。しかし、神は、自然や私たちの体を通して、ご自身の御業を表しています。また、神はご自身について、私たちに伝えるために、聖書を与えてくださいました。聖書は人間が書いたものですが、神が人間を通して私たちに、ご自身を明らかにされた書物です。
神は天地の創り主であり、私たちにいのちを与えてくださったお方です。また、神は愛であり、私たち一人一人を愛していると記されています。神は、感情のない宇宙の力や人間が考え出した想像の産物ではありません。確かに、神が天地を創られ、人にいのちを与えられました。それは、自然や人間の姿を見れば明らかなことです。すべてが偶然の産物であるならば、そこに希望はありません。天地を創られた神が存在し、その神が私たちを個人的に愛しています。そこに、私たちは希望と平安を見出すのです。