十字架は神の愛のしるしです

 2025年2月号

テレビタレントやアイドルが十字架のネックレスや十字架のイヤリングを付けているのを時々テレビで見ることがあります。元々、十字架は犯罪人を苦しめ死刑にする道具であったことを知っていますか。

では、なぜそのような恐ろしい道具が美しい飾りに変えられたのでしょうか。イエス・キリストは無実で十字架に付けられて殺されました。しかし、それは神様の計画でもありました。聖書はすべての人は神の前に罪を犯したと記されています。また、罪を犯した者は終わりの日に神により裁きを受けなければならないとも記されています。そうすると、全ての人が神の裁きを受け、天の御国に入ることは出来ません。この罪の問題を解決するためには、誰かが身代わりにならなければなりませんでした。しかも、その資格のある者は、その人自身が罪の無い者でなければなりません。罪が無い者とは神だけです。しかし、神は人のように死ぬことは出来ません。そこで、神の子イエス・キリストは神の姿を捨てて人として誕生されました。それがクリスマスのお話しです。そして、イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架の上でいのちを犠牲にされたのです。しかし、イエス・キリストは神の子ゆえに、死より三日目に復活され天に昇って行かれました。私たちは、イエス・キリストの死と復活によって罪が赦された者となったのです。そして、あの恐ろしい十字架はイエス・キリストの復活によって神の愛のしるしとされたのです。

神が罪人の身代わりとなられたことは、人間の知恵では理解できないことです。しかし、聖書は「神は愛である」とあります。神の愛は私たちが自らの罪によって滅びを受けることをそのままにしておくことは出来ませんでした。親でも自分の子のためには、自分のいのちを犠牲にする親はいます。それほど、親にとって子は自分のいのち以上に大切な存在です。それならば、なおさら神の愛は人間の愛よりも大きな愛です。また、神は多くの人々にこの神の愛を知ってほしいと願っています。神の愛についてもっとお知りになりたい方は、ぜひ、教会にお越しください。希望者には無料で聖書をプレゼントします。 牧師:久富昭彦