「愛する者を失った時」 2024年7月号

愛する者(夫、妻、父、母、子)を失うことは、私たちの心に大きなストレスを与えます。私が父を交通事故で失った時、私の心に最初に現れたのが、後悔と罪責感でした。青年の時代、父との関係が悪く、父に反発して生きていました。また、それゆえに早く家を出て、東京で一人暮らを始めました。父のような人間にはなりたくないと、家を出て実家に電話をかけることもなく、父との関係を絶っていました。

クリスチャンになり、牧師になる道を歩むようになっても、父を赦す気持ちにはなりませんでした。しかし、結婚し家庭を持ち、子を育てる立場になった時、少し、父の気持ちが分かるようになりました。そして、このままでは良くないと思い、父を赦すことが出来るように祈るようになりました。その結果、私の父に対する気持ちに変化が起こるようになりました。それから、父を赦し、父を受け入れることが出来るようになりました。これからは、少しでも親孝行したいという思いを持つようになりました。そんな矢先に、突然、父が交通事故で亡くなってしまいました。私の心に最初に現れた感情が、後悔と罪責感でした。もっと早く父を赦し、やさしく接しておけば良かったという思いです。また、そうすることが出来なかった自分を責める罪責感でした。葬儀の前日、私は一人、部屋の中で泣きました。涙があふれて止りませんでした。三時間ばかり泣いた後、何か暖かいものに包まれ、神の臨在(存在)と慰めを感じました。

葬儀の後、姉から父の事を知りました。父はクリスチャンではありませんでしたが、姉に連れられて、クリスマスやイースターには教会に行き、牧師の語る「イエス・キリストを信じる人は手を上げてください」という招きに、手を挙げたことがあるということでした。私はそれを聞いて少し気持ちが楽になりました。神様は父の事も救いに選んで下さり、天国で安らいでいることを信じることが出来たからです。聖書の教えでは、イエス・キリストを救い主と信じる者は天の御国(天国に)に住まいを備えて下さると教えています。私たちクリスチャンは、死で終わりではなく、天国でもう一度再会できる約束が与えられています。父とは、この世では二度と会うことは出来ませんが、天国で再会できる希望があります。愛する者を失うことは、大きな悲しみですが、死は終わりではない、天国で再会できる約束があるゆえに、私たちクリスチャンは、希望を持って前向きに生きることが出来るのです。この事についてもっとお知りになりたい方は、教会にお越しください。お待ちしております。    牧師:久富昭彦