「神様の契約と祝福」

「神様の契約と祝福」 創世記12章1節~7節

今日は、アブラハムの生涯を通して、神様と私たちの関係について学びたいと思います。アブラハムが最初に神様と出会ったのが創世記の12章です。すでにアブラハムは75歳になっていました。それ以前のアブラハムの記事については、創世記11章27節からのテラの歴史の中に記されています。テラには三人の息子がありました。(図1参照)アブラハムとナホルとハランです。また、ハランは三人の子を得ました。ロトとイスカとミルカです。また、ナホルはハランの娘ミルカと結婚しました。そして、アブラハムはサラと結婚しましたが、サラは不妊の女性でした。そして、テラは、アブラハムとサラとロトを連れてカナンの地に行くために出かけたとあります。しかし、テラたちはハランにとどまって、そこに住み着き、そこで亡くなりました。

神様は、75歳のアブラハムに現れ、親族から離れて私が示す地に行きなさいと命じました。また、この命令に従うなら、あなたを大いに祝福し、大いなる者になると約束されました。アブラハムは神様の言葉を信じてカナンの地へ出かけました。神様とアブラハムは契約を結んだのです。アブラハムの家族がカナンの地に入ると、すでにその土地にはカナン人が住んでいました。しかし、神様はアブラハムにこのように言われました。7節「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」神様はアブラハムに直接この地を与えると約束されたのではなく、アブラハムの子孫にこの地を与えると約束されたのです。これを聞いてアブラハムは主のために祭壇を築いたとあります。アブラハムが最初に築いた祭壇です。また、アブラハムはベテルの東に移り、その地にも祭壇を作りました。

アブラハムの家族がカナンの地に入ってしばらくすると飢饉が訪れました。アブラハムの家族は食べ物を得るためにエジプトに向かいました。そこで、アブラハムは神様に頼らないで自分の知恵に頼ってしまいました。妻のサラに妹と偽らせてエジプトに入ったのです。しかし、アブラハムのたくらみは、裏目に出て、サラはエジプトの王宮に連れ去られてしまいました。その危機を救ってくださったのが神様です。サラは神様の力によって助け出され、アブラハムはサラを連れて、以前、祭壇を築いた場所に戻り、主の名を呼び求めたとあります。また、アブラハムとロトの財産が増えると、二人が一緒の場所で生活をするのに困難を覚えるようになりました。そこで、二人は別の場所で暮らすことを決め、ロトは、見た目に豊かな土地ソドムの近くへと移動しました。神様はアブラハムの前に現れ、北、南、東、西を見渡すように言われ、この地をあなたの子孫に永久に与えると約束してくださいました。アブラハムはヘブロンに移り、そこに祭壇を築いたとあります。アブラハムが三度目に築いた祭壇です。

創世記の15章において、神様はもう一度、アブラハムの前に現れ、あなたへの報いは非常に大きいと言われました。しかし、アブラハムとサラにはまだ、子供がありませんでした。当時、子がいない場合、一番信頼のおけるしもべに財産を譲り、老後を養ってもらうという制度がありました。アブラハムは子供がいないので、信頼できるしもべ、エリエゼルに財産を譲るのでしょうかと神様に問いかけました。すると、神様はそうではなく、あなた自身か生まれる子があなたの後を継がなければならないと言われました。しかし、アブラハムもサラも年を取り、子が産める状態ではありませんでした。神様の言葉を信じられないアブラハムを神様は、外に連れ出し、15章5節「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」アブラハムは主を信じたとあります。アブラハムは神様には不可能はないと信じたのです。

ところが、16章において、自分が子を産むことは不可能だと感じたサラは、夫のアブラハムに自分の女奴隷ハガルを妻にし、彼女によって子を得ようと考えました。確かに、当時は、一夫多妻の時代ですから、複数の女性を妻にすることが許されている時代でした。今まで、別の女性を妻に迎えなかったアブラハムが不思議なぐらいです。今までアブラハムが別の女性を妻に迎えなかったのは妻のサラへの配慮からではないかと思います。そのサラからの申し出ですから、アブラハムはサラに同意し、エジプトの女奴隷ハガルを妻に迎えました。そして、アブラハムはハガルによって男の子を得、イシュマエルと名づけました。しかし、そのことは神様の御心ではありませんでした。神様の計画はアブラハムとサラに子を与えることでした。それゆえ後に、イサクが生まれると、アブラハムは、ハガルとイシュマエルを追い出さなければなりませんでした。

この後、アブラハムが99歳、サラが89歳の時に、神様は来年の今頃サラが男の子を生むと言われました。しかし、アブラハムもサラを神様の言葉を信じることができずに笑ったとあります。しかし、翌年、神様の約束通り、アブラハム100歳、サラ90歳にして、神様は二人に男の子を与えられたのです。アブラハムはその子にイサク(笑う)という名をつけました。それからしばらくして、神様は、アブラハムにイサクを全焼の捧げものとして捧げるように命じられました。翌朝早くアブラハムはイサクを連れて、神様が示される地へ出かけたとあります。そして、アブラハムが祭壇を築き、イサクをささげようとしたとき、主の使いがアブラハムを止めました。神様はアブラハムが神様を恐れる者であることを理解し、別の捧げものを用意してくださいました。また、アブラハムは175歳で亡くなり、イサクとイシュマエルによって葬られました。これがアブラハムの生涯です。

アブラハムの75歳までの人生について聖書には詳しく書かれていません。しかし、アブラハムが神様と出会ってからの100年間は聖書に詳しく書かれています。では、アブラハムの生涯を通して私たちが学ぶことは何でしょうか。(1)救いについて。アブラハムが神様と出会ったとき、アブラハム75歳サラは65歳でした。その時、二人にはこどもがありませんでした。しかし、神様はアブラハムに、あなたの子孫にカナンの地を与えると約束してくださいました。アブラハムはその言葉を信じました。しかし、その後のアブラハムの歩みを見ると、アブラハムの信仰が揺れているのを見ます。アブラハムは信仰の父と呼ばれますが、決して、アブラハムの信仰が完全であったわけではありません。アブラハムも信仰と不信仰の間で、戦いがあったのです。しかし、最終的にアブラハムは神様に不可能なないと信じ、アブラハム100歳サラ90歳にして、イサクを得ることができたのです。私たちの救いも神様との約束(契約)によります。常識では、処女降誕と死よりの復活はありえないことです。私たちもアブラハムとおなじように、信仰と不信仰との間に戦いがあります。しかし、私たちがアブラハムのように、神様の全能の力を信じ、聖書の言葉を信じるとき、アブラハムと同じように、信仰によって救いを得ることができるのです。(2)祈りについて。アブラハムは、行く場所行く場所に祭壇を築いたとあります。祭壇はアブラハムにとっての祈りの場です。私たちも同じように祈りの場が必要です。時間があったら祈ろうと思っても祈れないのが現実です。毎日祈るためには、時間と場所を決めなければなりません。救いは神様の約束ですからただでいただけます。しかし、神様との関係を深めるためには祈りが必要です。祈りは神様との会話です。神様との時間を過ごせば過ごすほど、神様との関係を深めることができます。神様は私たちを祈る者として創造してくださいました。私たちは神様に祈ることによって、神様の豊かな祝福を自分のもとすることができるのです。