カインとアベルとセツの子孫

創世記4章1節~16節

1月4日より旧約聖書の創世記から学んでいます。4日は「神による天地創造について」11日は「人間の罪と神の赦し」について学びました。今日は、カインとアベルそしてセツの子孫について学びます。

1、カインとアベルのささげ物(創世記4章1節~5節)

創世記の3章で罪を犯したアダムとエバは、エデンの園から追い出されてしまいました。創世記の4章からアダムとエバの子、カインとアベルについて記されています。二人の息子はそれぞれ父の仕事を受け継ぎました。カインは「大地を耕す者」となり、アベルは「羊を飼う者」になりました。二人は聖書には書かれてありませんが、父アダムに教えられたのでしょうか。主(神)へのささげ物を持ってきました。この場面を考えると、アダムは神から退けられましたが、神への信仰を失うことなく、神への感謝の気持ちを、ささげ物を通して表していたのではないかと考えられます。問題はそのことを二人の子供たちは理解していたかどうかです。3節「しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持ってきた。」とあります。4節「アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。」とあります。その結果は、「主はアベルとそのささげ物に目を留められた。」5節「しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。」とあります。なぜ、神はアベルのささげ物に目を留められ、カインのささげ物には目を留められなかったのでしょうか。父アダムのささげ物には神への感謝の気持ちが表れていました。二人のささげ物はどうだったでしょうか。4節「アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。」とありました。明らかにアベルは良い物を選んで神の前にささげています。そこにアベルの神への感謝の気持ちが表れていました。しかし、カインについては、そのような行動が見られません。確かに、カインも大地の実りからささげ物を持って来たのですが、カインに神への感謝の気持ちがあったのでしょうか。神は私たちの心を見られると聖書にあります。カインとアベルの出来事を通して、私たちがささげる礼拝や献金に神への感謝の気持ちが伴っているか、自分自身の心の中を省みたいと思います。

2、カインの怒りと悔い改めのチャンス(創世記4章5節~16節)

カインはどうしたでしょうか。5節「それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。」とあります。カインは自分の心の中を省みることなく、神に対して怒りを向けたのです。6節7節「主はカインに言われた。『なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。』」神はカインに悔い改めのチャンスを与えられましたが、彼は神のことばに耳を傾けませんでした。8節「カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。」とあります。また、9節「主はカインに言われた。『あなたの弟アベルは、どこにいるのか。』」これも神からカインに与えられた悔い改めのチャンスです。しかし、彼はこのように答えました。9節「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」カインはまたも自分の罪を認めることなく悔い改めを拒みました。結局、カインは悔い改めることなく、さらに神から遠くに退けられました。16節「カインは主の前から出て行って、エデンの東、ノデ(さまようの意味)の地に住んだ。」とあります。

3、カインの子孫とセツの子孫(創世記4章17節~26節)

17節から24節は、カインの子孫について記されています。カインの子孫は神とは関係のない社会、自分の欲望を満たす社会を作り上げてしまいました。25節26節「アダムは再び妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけた。カインがアベルを殺したので、彼女は『神が、アベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました』と言った。セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は主の名を呼ぶことを始めた。」とあります。神はアベルの代わりにセツを与え、彼の子孫たちが主の名を呼ぶことを始めたのです。カインの子孫は神から離れ、自分の欲望を満たす社会を作り上げましたが、神はアベルの代わりにセツを与え、彼の子孫から主の名を呼び求める子孫を起されたのです。主の名を呼ぶとは、祈るという事です。

祈りとは、自分の必要を満たすために神にお願いすることではありません。祈りとは神が人間にだけに与えられた特権で、神と親しく交わることを意味しています。罪を犯す前のアダムは神との親しい関係(信頼関係)がありました。しかし、彼は罪を犯しその特権を失い、エデンの園から追い出されてしまいました。それでも、彼の神への信仰は失いませんでした。それが神への感謝のささげ物という形で表されていたのです。アベルはその父の気持ちを理解して神にささげ物をしましたが、カインには感謝の気持ちがなく形だけでした。それゆえ、カインのささげ物は神に受け入れられませんでした。しかも、彼は自分の行いを悔い改めることなく、アベルを殺してしまいました。神はカインに悔い改めのチャンスを与えましたが、彼はそれを拒み、さらに神から遠くに退けられてしまいました。その後、カインの子孫は自分の欲望を満たす社会を作り上げてしまいました。神は、そこでアダムとエバにもう一人の男の子セツを与えられました。セツの子孫は神の名を呼び求める子孫となりました。「神の名を呼び求める」とは、神に祈るという事です。本来、神は人と親しく交わるために人間を創られました。しかし、人は罪を犯しこの特権を失ってしまいました。神はアダムとエバにセツを与えることによって、もう一度、神と人が親しく対話をできる子孫を作られたのです。そのことは、私たちも同じです。私たちも罪を犯し、神との親しい関係を失ってしまいました。しかし、神はひとり子イエスの誕生と十字架の死と復活によって私たちの罪を赦し、神の子となる特権を与えられました。私たちは罪を悔い改めることによって、この特権を回復し、神の子とされ、神との親しい関係を回復することができたのです。祈りとは、神と私たちを結ぶ大切な交わりの時となったのです。今年、神に願うだけの祈りではなく、神が私に何を求めているのかを祈り、それに従って生きる一年となりますようにお祈りいたします。