深みに漕ぎ出しなさい

ルカの福音書5章1節~11節

聖書を読み始めの頃、どうしてイエスの生涯を描くのに四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)が必要なのかわかりませんでした。それも、四つとも少しずつ違いがあり、なぜ、同じイエス・キリストの生涯であるのに違いがあるのか、どの証言が正しいのか混乱した時期があります。その後、神学校で聖書を学び、その疑問が解けました。一人の人の考えでイエス・キリストの生涯を描いた場合、その人の考えが反映され、偏った見方で描くことがあります。福音書は、四人の人がそれぞれの見方で、イエスの姿を現しています。それゆえ、四つ福音書を見ることによって、より正確にイエスの姿を理解できるという事です。また、それぞれ書かれた年代が違い、書かれた目的が違うことによって書き方が変わります。例えば、マタイはユダヤ人であり、イエスの十二弟子の一人です。マタイがマタイの福音書を書いた目的は、ユダヤ人にイエス・キリストが救い主であることを伝えることでした。それゆえ、旧約聖書の引用やユダヤ人に分かる表現で書かれています。マルコの福音書は福音書の中で一番初めに書かれたと言われています。マルコがペテロに仕え、ペテロから聞いた話をまとめて書いたのがマルコの福音書です。ルカはユダヤ人ではなく異邦人です。彼は、パウロの同労者で、医者であったと言われています。また、彼は歴史家でもありました。ルカは実際にイエスの生涯を調査しルカの福音書を書いたと言われています。また、ルカは異邦人であるローマの高官テオフィロにイエス・キリストが救い主であることを伝えるために書きました。それゆえ、ユダヤ人の習慣に詳しくない日本人にはルカの福音書が一番わかりやすいかもしれません。このマタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書を共観福音書と呼びます。それは、書かれた内容が似通っているからです。それに比べヨハネの福音書は共観福音書とは内容に違いがあります。その理由として、ヨハネの福音書が書かれたのはヨハネが晩年になって書かれたもので、共観福音書とは時期的に違いがある事。また、ヨハネの福音書が書かれた頃は、すでに共観福音書が書かれていたため、ヨハネは共観福音書に書かれていない出来事、また、その出来事を通してヨハネが晩年になって気づいたことを書きました。それゆえ、共観福音書とは少し内容が違った書き方がされています。私たちは四つの福音書を通して、より深くイエス・キリストの事を知り、神様の深い計画を知ることができるのです。

今日は、ルカの福音書5章の、ペテロが舟を捨てて、イエスの弟子となった出来事から学びます。まず、聖書を通してここまでのイエスの歩みを確認します。マタイの福音書とルカの福音書はイエスの誕生から話を始めています。その後、バプテスマのヨハネの働きが紹介され、ヨハネの福音書では、ペテロの兄弟アンデレはバプテスマのヨハネの弟子であったことが記されています。また、この後アンデレはイエスと出会い、ペテロをイエスに紹介しています。この時、ペテロはイエスによってペテロ(岩)という名が与えられました。その後、カナの結婚式の出来事がありました。そして、イエスの所にニコデモが訪ねてきました。そして、サマリヤの女性との出会いがありました。その後、マタイの福音書とマルコの福音書ではガリラヤの海辺で網を洗っていたペテロとアンデレをイエスが弟子として招く場面が記されています。ルカはさらにその出来事を詳しく記しています。ここまでの経緯を考えると、ペテロとアンデレはガリラヤ湖での出会いの前にイエスとの面識があったことが分かります。しかし、その時はペテロもアンデレも仕事を捨ててイエスの弟子となることはありませんでした。それから、時間が経ち、イエスが二人の住んでいる村に立ち寄ったことになります。そのことを頭に置きながら、今日の出来事を考えたいと思います。

ルカの福音書4章38節で、イエスがペテロの家に行き、ペテロの姑が熱で苦しんでいるのを癒した出来事が記されています。それによって多くの病人がイエスの所に連れて来られ、多くの病人が癒されました。その出来事の後、ルカの福音書5章1節2節「さて、群衆が神のことばを聞こうとしてイエスに押し迫って来たとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。」とあります。このことばから、群衆がイエスのことばを聞きに集まって来たとき、ペテロたち漁師は、イエスの話を聞くよりも、漁の網を洗うのに忙しく働いていました。彼らは、イエスの話を聞くよりも、自分たちの仕事を優先していたのです。3節「イエスはそのうちの一つ、シモン(ペテロ)の舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。」イエスは網を洗っているペテロを呼び、彼の舟に乗り込んで、群衆に話し始められたのです。ペテロは網を洗う仕事を止めて、イエスの話を近くで聞くことになりました。4節「話が終わるとシモン(ペテロ)に言われた。『深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。』」ペテロはどう思ったことでしょう。彼はこの湖で何十年と働いて来ました。いつどの時間に魚がいるのか熟知していました。この時間に魚がいないこと、昨晩、働いても魚が捕れなかったことを考えると、今、深みに漕ぎ出し、網を下ろしても無駄なことはわかっていました。5節「すると、シモンが答えた。『先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。』」6節「そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。」とあります。ペテロは驚いた事でしょう。7節「そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。」二艘の舟が沈みそうになるほど魚が大量に捕れたのです。8節「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。『主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。』」ペテロは、イエスの権威と力に打ちのめされてイエスの前にひれ伏したのです。9節「彼も、一緒にいた者たちもみな、自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。」10節「シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。』」ペテロが偉いのは、無駄だとわかっていながら、イエスのことばに従ったことです。この場面で、ペテロには二つの選択がありました。一つは、イエスのことばに従わないこと。もう一つは、無駄だとわかっていても、イエスのことばに従うことです。普通、人は無駄だとわかっていて従うことは難しいことです。もし、ペテロがイエスのことばに従わなかったら、このような奇蹟を体験することができず、イエスの弟子になることもなかったでしょう。私たちは自分の考えや経験に縛られ、神のことばを信じられない、また神のことばに従えない者です。イエスが神の子であり、神の姿を捨てて人として生まれたこと。十字架に付けられ殺され三日目に復活されたこと。弟子たちに姿を現し、弟子たちが見ている前で天に昇って行かれたことなど、どれも人間の知恵では信じられないことです。しかし、聖書はそれら全てが真実であることを証言しています。ペテロは自分の知識と経験を越えた神の力をイエスの中に見出し、イエスを「先生」ではなく「主」と呼びました。私たちクリスチャンであっても自分の限界、自分の力を見て、神のことばに従えないことがあります。自分の力の範囲内で生きているとき、神の力、助けは必要ありません。しかし、神は時として、私たちにその限界を超えるように命じられます。その時、私たちにも二つの選択があります。自分の力を見て神のことばに従わないこと。もう一つは、神のことばに信頼して従う事です。

アライアンス教団を創設したA・Bシンプソンの歌に、「沖へ出でよ」という新聖歌の歌があります。この歌の中で、2番「世の人は岸に立ちて 沖をば見るのみ」「主の恵みの深さなど あえて知らんとせず」という歌詞があります。世の人は神の恵みや愛を知ろうとはしません。また、3番では「ある者はわずか漕ぎて 遠く乗り出さず」「返る波に吞まれたり 船ともろともに」とあります。浅瀬にいることは安全です。深みに漕ぎ出せば危険が伴います。それでも神に信頼して深みに乗り出す時、神の力、権威を体験することができます。シンプソンは私たちに、沖に漕ぎ出して神の恵みの深さの中へ漕ぎ出すように勧めているのです。自分の力、限界の中で生きるなら神の助けは必要ありません。神は時として私たちにその限界を超えるように命じます。私たちが神に信頼して、神のことばに従う時、私たちは、神の愛の深さを知るのです。