ルカの福音書2章8節~20節
アドベントの3週目は、救い主イエス・キリストの誕生を告げられた羊飼いたちから学びます。ここで考えたいことは、なぜ、羊飼いたちに告げられたのかということです。当時、神殿に仕える祭司たちがいました。また、神の戒めを教えるユダヤ教の指導者律法学者たちもいました。なのに、なぜ神は彼らではなく、救い主の誕生という大切な出来事を名もない貧しい羊飼いたちに告げ知らせたのでしょうか。
ルカの福音書2章1節から見ていきます。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。」とあります。これは支配者が税金を正確に集めるために行われる政策です。4節「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」とあります。マタイの福音書1章の系図にあったようにヨセフはダビデの家系であったので、ガリラヤのナザレからベツレヘムまで身重のマリアを伴って出かけました。距離にして約145キロ、徒歩で四日から五日ほどかかったものと考えられます。身重のマリアを伴った旅は危険も伴ったことでしょう。
ベツレヘムに着いて見ると、ヨセフと同じように地方から住民登録をするために多くの人々が集まっていました。そのため、二人が泊まる宿屋もなく、家畜小屋で泊まることになりました。6節7節「ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」とあります。もし、王の子として王宮で生まれたら、また、祭司の子として生まれたら多くの者から祝福を受け、注目されたことでしょう。しかし、神が選ばれた家族は、大工の家でした。また、生まれた場所は家畜小屋でした。誰にも注目されず、祝福もありませんでした。しかし、神はこの素晴らしい出来事を貧しい羊飼いたちにお知らせになったのです。8節「さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。」とあります。当時の羊飼いという職業は身分が低く、貧しい者たちが多くいました。また、仕事がら神の戒めである安息日も守ることができず、律法学者たちからは罪人との仲間とされていました。そんな彼らの前に、主の使いが現れて、救い主の誕生が知らされたのです。主の使いが来られた時、「主の栄光が周りを照らした」とあります。また13節では「御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。」とあります。羊飼いたちは驚いた事でしょう。また、彼らは救い主の誕生の知らせを受け、しかもその救い主が飼葉桶で寝かされていると告げ知らされたのです。彼らはどうしたでしょうか。
15節「羊飼いたちは話し合った。『さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。』」16節「そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝かされているみどりごを探し当てた。」とあります。彼らは飼葉桶に寝かされている幼子を捜しに出かけ、救い主である幼子を見つけ出したのです。それだけではなく、彼らはこの出来事を人々に知らせたとあります。
マタイの福音書の2章で、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、ヘロデ王に謁見し幼子の誕生について知らせました。ヘロデ王は動揺したとあります。また、エルサレム中の人々も王と同じように動揺したとあります。それゆえ、東方の博士たちがエルサレムに来たことは多くの人々に知らされていました。また、ヘロデ王は、祭司長たち、律法学者たちを集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただしたとあります。彼らは旧約聖書のことばを通してユダヤのベツレヘムでキリストが生まれるとヘロデ王に伝えました。しかし、その後の記述を見ると、祭司長や律法学者たちが幼子を捜しに行ったという記録はありません。彼らは幼子を捜しに行かなかったのです。当時、ローマ政府は各国の宗教を重んじ、自由に礼拝することを許していました。それゆえ、彼らは自分たちの地位が守られていることに満足し、救い主を必要としていませんでした。そこに、神が祭司長や律法学者たちではなく貧しい羊飼いたちを選ばれた理由があるように思えます。
イエス・キリストが宣教の働きを始められた時、貧しい人々や罪人と呼ばれる人々に福音を伝えました。律法学者たちはその働きを見て、イエスを批判したとあります。律法学者パリサイ人たちは、自分の聖さを守るために、罪人と呼ばれる人々と一緒に食事をすることを禁じていました。マタイの福音書9章10節11節「イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、『なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか』と言った。」とあります。12節13節「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。』『わたしが喜びとするのは真実な愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」律法学者パリサイ人たちは、神の戒めである律法を守ることによって、自分の正しさを人々に誇っていました。彼らは自分の罪を認めず罪はないと公言していたのです。彼らに救い主イエス・キリストは必要ありませんでした。貧しい人々、罪人と呼ばれる人々は罪の自覚がありました。それゆえ、バプテスマのヨハネが現われ、悔い改めのバプテスマを受けるように宣べ伝えると、多くの人々が彼のもとに集まり洗礼を受けたとあります。律法学者たちはバプテスマのヨハネの働きを批判したとあります。
私も教会に来たとき、自分の罪が分かりませんでした。自分が罪人であると言われて反発を感じました。しかし、聖書を学ぶうちに聖書が教える罪が、この世の罪だけではなく、神の前で罪があるか無いかであることを学んだ時、はじめて自分の罪を認めました。罪が分からない人に救いの重要性はわかりません。病人は自分が病気であることを認めた時、医者を必要とします。マタイの福音書1章21節で主の使いがヨセフに言いました。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」「イエス」とは救いという意味です。自分の罪を認めない祭司長や律法学者たちに救い主の誕生は必要ありませんでした。しかし、神の戒めを守れない、自らを罪人と認める羊飼いたちは、神の救いと憐れみを必要とする者たちでした。そこに、神の目が祭司長や律法学者たちではなく、羊飼いたちに向けられた理由があるように思えます。私たちは神の恵み救い主イエス・キリストを必要とする者でしょうか。それとも、祭司長や律法学者たちのように自分の正しさを誇り、救い主イエス・キリストを必要としない者でしょうか。共に考えたいと思います。