神に選ばれたアブラハムとサラ

創世記12章1節~8節

今年の1月は、創世記の前半アダムとエバからノアの箱舟までを学びました。3月はその後半アブラハムからヨセフまでを学びます。この創世記の後半を「族長時代」と呼びます。

1、神に選ばれたアブラハムとサラ(創世記12章1節~8節)

アブラハムは信仰の父と呼ばれますが、初めから信仰深い人物ではありませんでした。私たちと同じ弱さを持つ不信仰な者でした。それを考えると、神が人を選ばれる基準は、私たちの能力や正しさにあるのではなく、神の御心にあることがわかります。神がアブラハムを選ばれた時、神はアブラハムに一つの条件を与えられました。創世記12章1節「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。』」アブラハムが神の祝福を受ける条件は、「父の家を離れる」ことでした。それは、アブラハムが神にだけに信頼するためには必要なことでした。

新約聖書で、一人のお金持ちの青年がイエスの所に来て尋ねました。マタイの福音書19章16節「すると見よ、一人の人がイエスに近づいて来て言った。『先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。』」イエスは彼に戒めを守りなさいと言いました。彼はどの戒めですかとイエスに問いかけ、イエスは十戒の後半の戒めをあげました。すると、彼はそのような戒めは守ってきましたと答えました。21節「イエスは彼に言われた。『完全になりたいのなら、帰ってあなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。』」22節「青年はそのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。」とあります。この青年は財産を持ちつつ、永遠のいのちを持つことを願いました。しかし、イエスはこの青年が神ではなく、財産に信頼していることを知らせるために、財産を貧しい人たちに施すことを提案したのです。しかし、彼は財産ではなく神を求める信仰を手放したのです。富と神とに仕えることは出来ないとイエスは言われました。

創世記12章4節「アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。」とあります。75歳という高齢で、親族から離れ、知らない土地に行くことは、アブラハムにとって不安であったと思います。この時、妻のサラは65歳です。彼女も夫について知らない土地に行くことは不安であったと思います。アブラハムがカナンの地に入ると神は彼に言われました。7節「主はアブラムに現れて言われた。『わたしは、あなたの子孫にこの地を与える』」高齢で子どものいない二人にとって、この神の約束のことばは、どれほど喜ばしい約束のことばだったでしょう。7節「アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」とあります。また、アブラハムはベテルの東に移動し、そこに天幕を張り主のために祭壇を築き、主の名を呼び求めたとあります。親族を離れたアブラハムにとって神しか頼るものがありませんでした。この時、アブラハムは常に主の御名を呼び求めました。

しかし、飢饉のためにエジプトに入る時、そこに祭壇を築いて主に祈ったという言葉がありません。それどころか、アブラハムは妻のサラに妹だと偽りを言うように命じました。それは、エジプトという大きな国を恐れたからです。夫婦ならば、妻を奪う場合、夫を始めに殺します。しかし、兄弟ならば妹の好意を得るために兄に良いことをすることをアブラハムは知っていました。そこで、自分のいのちを守るために妻のサラに妹と言わせたのです。それほど、アブラハムは神の力よりエジプトの力を恐れたのです。しかし、それでもサラはエジプトの王宮に召し上げられてしまいました。その窮地を救ったのは神でした。この後、アブラハムは以前、祭壇を築いた場所に戻り、主の御名を呼びもとめたとあります。これが、アブラハムの悔い改めの祈りです。しかし、アブラハムはネゲブの地方ゲラルでも同じ失敗を繰り返します。ここにアブラハムだけではなく、人間の弱さが現わされているように思います。

2、アブラハムの妻サラ(創世記16章1節~16節)

創世記16章1節2節「アブラハムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルと言った。サライはアブラムに言った。『ご覧ください。主は私が子を産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。おそらく、彼女によって私は子を得られるでしょう。』アブラムはサライの言うことを聞き入れた。」とあります。当時、不妊の女性は神の祝福を受けることが出来ない呪われた女性として低く見られていました。また、当時は奴隷の子は、主人のものとなります。サラは、ハガルに子を産ませて自分の子として育てようと考えたのです。しかし、サラにとって思いもよらない事態を招いてしまいました。それは、子を宿した女奴隷のハガルが、主人である自分を軽く見るようになったのです。ハガルにしてみれば、今まで、女奴隷として主人のサラにこき使われてきました。しかし、アブラハムの子を身ごもることによって主人の子の生みの親になります。その事は、周りから喜ばれたことでしょう。彼女は高慢になりサラを見下げるようになったのです。サラはどうしたでしょうか。彼女は自分の立場を守るためにハガルをいじめたとあります。ハガルはサラのいじめに耐えかねて、アブラハムの家から逃げ出しました。アブラハムの家から逃げ出したハガルでしたが、彼女に主の使いが現われ、身を低くしてアブラハムのもとに帰りなさいと諭され、彼女はアブラハムの家に帰り、イシュマエルを産みました。いくら自分の身を守るためとはいえ、ハガルをいじめるサラの姿を考える時、神に選ばれた者とは思えない行動です。

また、アブラハムが百歳サラが九十歳の時にサラはイサクを産みました。サラはイサクの将来を不安に思い、アブラハムにイシュマエルを追い出すように願いでて、アブラハムはハガルとイシュマエルを追い出しました。イシュマエルが生まれたのはサラの計画でした。しかし、自分の子イサクが生まれるとハガルの子が邪魔になり、イシュマエルを追い出すなど、自分勝手な気がします。それでも、それが我が子を思う母の姿なのかもしれません。

ここまで、神に選ばれたアブラハムとサラの夫婦を見てきました。決して彼らは神に選ばれるにふさわしい模範的な夫婦ではありません。弱さを覚える不信仰は夫婦でした。しかし、私たちも同じように不信仰な者ではないでしょうか。神は完全な者を選ばれるのではなく、不信仰な者をえらばれます。また、神は不信仰なアブラハムとサラを助けたように、私たちをも助けて下さる神です。アブラハムは175歳、サラは127歳で天に召されました。二人に託された神の計画はその子イサクとリベカに引き継がれました。私たちも不信仰な弱い者ですが、神が私たちを選んでくださいました。神はご自分が選ばれた者を捨てることなく、責任を持って助けて下さり、私たちに託された神の計画を全うしてくださるのです。