「神の愛によって変えられたザアカイ」ルカの福音書19章1節~10節
取税人のかしらザアカイのお話は有名です。今日は、なぜ、取税人のかしらザアカイがイエス様と出会ってその生き方が変えられたのか考えたいと思います。
1、イエス様と出会う前のザアカイ。
ルカの福音書19章1節で、「彼は取税人のかしらで金持ちであった。」とあります。イエス様の弟子の中にマタイという人がいますが、彼はイエス様の弟子になる以前、彼も取税人でした。ルカの福音書5章27節に登場するレビとは、マタイの別名で、彼は収税所にすわっていたとあります。そのマタイを見てイエス様は「わたしについて来なさい。」と言われました。マタイはイエス様の呼びかけに応じて、取税人という仕事を捨ててイエス様の弟子になったのです。そして、彼は、すぐにイエス様を自宅に招き、友人たちを誘って大宴会を行いました。それは、自分の友人たちにイエス様を紹介するためでした。取税人はローマ政府に雇われた役人で、ユダヤ人からローマ政府に収める税金を集める仕事をしていました。それゆえ、取税人という仕事は、ユダヤ人から憎まれていました。しかし、その仕事はローマ政府から委託された仕事ですから、取税人はユダヤ人から不正に税金を集め、自分のふところに収めていたのです。それゆえ、取税人はますますユダヤ人から嫌われ、ユダヤ人は彼ら取税人をユダヤ人と認めず、一切の付き合いをしませんでした。イエス様の弟子になったマタイでさえ、大きな家に住んでいましたから、取税人のかしらであるザアカイはどれほど大きな家に住み、大金を集めていたかわかりません。その、人々から嫌われたザアカイがイエス様と出会って変えられたのですから、彼にとってイエス様との出逢いは、彼の人生(価値観)を変える大きな出会いだったのです。
2、イエス様とザアカイとの出会い。
3節「彼は、イエス様がどんな方か見ようとしたが背が低かったので、群衆のために、見ることができなかった。」とあります。彼がイエス様に興味を持ったのは、当時、神様の戒めを教える律法学者パリサイ人は、貧しい人や取税人を罪人と呼び、そのような人々に近づくこともありませんでした。ところが、イエス様は貧しい人々や罪人と呼ばれる人々に近づき親しく食事などをしていました。また、弟子の中に同じ取税人がいたことをも知っていたのかもしれません。そんなイエス様がどんな人か興味を持ち、ひと目見ようとザアカイは出かけたのでした。しかし、大勢の群衆のためにイエス様に近づくこともできません。そこで彼は、4節「それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。」とあります。ザアカイは体も小さかったので、するするすると、木に上り、木の上からイエス様を見下ろそうとのです。その時、奇跡が起こりました。ザアカイは一度もイエス様に会ったことがないのに、イエス様は彼の名前を知っておられ、それだけではなく、「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは。あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われたのです。ザアカイは驚くと共に、喜んで木から降りてイエス様を自宅に迎えました。
3、変えられたザアカイ。
イエス様が、取税人のかしらザアカイの家に招かれたのを見て、人々は、悪い意味で驚きました。人々は、7節「これを見て、みなは、『あのかたは罪人のところに行って客になられた』と言ってつぶやいた。」とあります。イエス様の行為は人々に不満でした。ところが、ここに奇跡が起こりました。8節「ところがザアカイは立って、主に言いました。『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。』」このザアカイの変化は何によるものでしょうか。それは、明らかにイエス様と出会ったことによる変化です。イエス様に出会う前のザアカイの価値観は、お金がすべてでした。人を騙そうと、人から嫌われようと、お金さえあれば幸せだと思って生きてきました。しかし、彼は幸せを感じていたでしょうか。確かに、大金はあり、大きな家に住んでいました。しかし、だれも訪ねてこない家。孤独な日々。しかし、ここに自分の名前を知っている人がいました。また、自分と共に食事をしてくれる人がいました。ザアカイはお金よりも大切なものを発見したのです。(1)神様との出会い。(2)隣人との親しい関係です。以前、お金持ちの役人のお話をしました。彼は永遠のいのちを得るためにイエス様のところまで来ましたが、イエス様に、財産を貧しい人々に施しをして、その上でわたしに従って来なさいと言われ、それを聞いて彼は悲しんで去っていったとあります。それは、彼が多くの財産を持っていたからです。彼は、イエス様に従う生活より、財産に守られる生活を選んだのです。
しかし、ザアカイはイエス様に言われる前に、自分から、財産の半分を貧しい人々に施しますと宣言しました。この宣言は、ザアカイが財産に頼る生活をやめることを宣言したものです。彼は、財産は決して人を幸せにしないことに気付いたのです。そして、もっと大切なことに気付いたのです。それは、(1)神様との関係を回復すること。(2)隣人を愛することです。イエス様はザアカイの言葉を聞いて喜ばれました。9節10節「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」このお話は、ザアカイだけの話ではありません。私たち一人一人も、神様の目から見れば、失われた人です。神は私たちを救うために、ひとり子イエス様を人としてこの地上に遣わしてくださったのです。聖書は、神様が私たちを愛し、招いてくださっていることを教える神様からの手紙です。人間の不幸、それは、アダムとエバが罪を犯しエデンの園から追い出された時から始まりました。神様との親しい関係を失った人間は自分の力で働き、自分で自分の生活を守らなければなりませんでした。しかし、神を裏切った人間との関係を回復するために神様はひとり子を人として地上に誕生させ、十字架で私たちの罪の身代わりとしていのちを取られたのです。私たちが、本当の幸せを得るために、多くの財産は必要ありません。しかし、どうしても必要なものがあります。それは、神様に罪赦され、愛されていることを知ることです。まさに、ザアカイはイエス様と出会って、神に罪赦されたこと愛されていることを身をもって感じたのです。