「神の戒めと人の戒め」ルカの福音書13章10節~21節
安息日の戒めは、出エジプト記の中で、神様がモーセを通してイスラエルの民に与えられた十戒の中に定められた戒めです。出エジプト20章8節~11節「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし、七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。ーあなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人もーそれは主が六日のうちに天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」安息日の戒めの元となった出来事は、さらに古く、創世記の1章2章にさかのぼります。それは、神様が天と地を六日間で創造され、七日目に休まれたことに由来しています。神様は何故、七日目に休まれたのでしょうか。それは、人間を祝福するためでした。また、それは、人間が神を礼拝する日だったのです。
十戒の戒めが与えられる前にも、安息日について教えられている箇所があります。出エジプト記16章です。イスラエルの民がシンの荒野に入った時のことです。イスラエルの民は食べ物が無くなり、モーセとアロンにつぶやいたとあります。そこで、モーセが神様に祈ると、神様はイスラエルの民にマナという食べ物を与えられました。また、その量は各家庭の一日分で、翌日まで残しておいてはいけないと戒められました。そして、六日目は二日分の量が与えられました。それは、七日目の食べ物で、七日目にはマナは与えられないと神様が言われたからでした。そしてその七日目こそ「主の聖なる安息である。」と言われたのです。また、ある時、安息日にたきぎを集めている者たちがいたので、捕らえられました。この者たちをどのように罰するかを神様にうかがうと、神様は彼らを殺すように言われたのです。それは、彼らが神様の戒めである安息日を守らなかったからです。それほど、安息日の戒めは厳しいものでした。ところが、イスラエルの歴史の中で、いつも、厳格に安息日の戒めが守られていたわけではありません。安息日の戒めが厳格に守られるようになったのは、南ユダ王国が滅び、イスラエルの民が、バビロンに捕囚として移住させられてからのことです。
この頃から会堂での礼拝が始められ律法学者による聖書の教えが始められました。彼らは、自分たちの国が滅ぼされたのは、神様の戒めを自分たちが守らなかったからだと反省し、旧約聖書の戒めを研究し、人々に神様の戒めを守るように教えたのです。この頃から、厳格に安息日の戒めが守られるようになったのです。
イエス様の時代には、さらに厳しく、安息日にしてはいけない労働が何百と定められていたそうです。例えば、火を使うことや病が癒された人が自分が寝ていた布団を運んだ時も、律法学者たちは彼を罪に定めました。また、今日の箇所のように、イエス様が安息日に病を癒すことも医療行為をしたとして、イエス様を罪に定めたのです。イエス様は彼らを「偽善者たち」と言われました。なぜなら、彼らは安息日であっても、普通の日のように、牛やろばを小屋から出して水を飲ませていたからです。彼らは、牛やろばのためには労働しても罪に定めないのに、18年も病に苦しむ人を助けたイエス様を罪に定めたのです。イエス様は、他の箇所で、安息日のために人が作られたのではなく、人のために安息日が定められたと言われました。まさに、それが、安息日の教えでした。パリサイ人律法学者たちは、戒めを守るためにさらに、戒めを増やして、厳格に安息日を守らせようとしました。ところが、次第に彼らの戒めが大きくなりすぎて、神様の戒めから離れて人間の戒めになっていたのです。
ユダヤ教の安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までと定められています。今でも、ユダヤ人たちは厳格に安息日を守っています。クリスチャンは、日曜日を安息日、礼拝の日と定めています。それは、イエス様が日曜日に死から復活されたからです。日曜日は、新しい安息日です。神様はこの日を祝福するために特別に聖なる日と定めて下さいました。それゆえ、私たちも、日曜日に、神様を礼拝し、神様から祝福をいただくのです。
18節から、イエス様は神の国について、二つの例え話をされました。一つは、からし種。もう一つは、パン種です。この2つの種は同じ事を表しています。からし種は、砂粒ほどの大きさの種ですが、それを地に蒔いて育てると、大きな木に成長するそうです。また、パン種、イースト菌も、少量でパンをふくらませます。ここで言う、神の国とは、イエス様の教え(キリスト教)のことです。イエス様の働きは、何千、何万という人々を弟子にする働きではありませんでした。イエス様は、将来のために十二人を教えただけです。しかし、その十二人から、世界中に広がる教えとなりました。現在は、小さな集まりだが、将来はからし種が大きな気になるように、また、パン種がパンをふくらませるような大きな働きと成ることを預言されて言われたのです。この教会も、ロング先生が始めた頃、ロング先生の家族で礼拝が始められたと教えられました。今年、教会が創立30周年を迎えます。この教会も、からし種のように、小さな種から大きな木に成長することを願います。日本におけるアライアンスミッションの働きは100年を超えています。100年前、数人のアライアンスの宣教師が日本に上陸し、四国、広島と宣教の働きを始めました。当時の日本の状況、特に四国、広島ではほとんどの人が外国人を見たこともなかったでしょう。そのような状況で宣教の働きがなされたのです。今、日本アライアンス教団の教会が39教会。信徒数2686名となっています。確実に、からし種は成長しています。私たちの教会もそれにならって成長して行きたいと思います。