自分の弱さを誇る信仰

「自分の弱さを誇る信仰」コリント人への手紙第二12章7節~10節

この世の人々は、財産や権力、力を求めます。しかし、キリスト者はそのような目に見える物を求めてはいけないと教えられます。さらに、パウロは自分の弱さを誇るとまで宣言しています。私は、最初にこの個所を読んだ時、人は自分の弱さの何を誇ることができるのか疑問に思いました。確かに、この世の物は過ぎ去り無くなります。NHKの大河ドラマで「真田丸」が放送されています。現在、秀吉が亡くなり、豊臣政権が崩壊し徳川家康が実権を握ろうとしている所です。この後、関ケ原合戦で家康が勝利し、天下は豊臣から徳川へと移って行きます。秀吉が死んで何年もたたないうちにです。果たして、豊臣秀吉は天下を取って幸いな人生だったのでしょうか。確かに、ぜいたくな暮らし、人のいのちを思い通りに殺すことも生かすこともできる権力を手に入れました。しかし、その晩年は、その天下を誰かに奪われはしないかと、不安な日々ではなかったでしょうか。秀吉の妻、ねねは生涯、百姓として生きた方が幸せではなかったかと思わされます。

今日は、士師記のサムソンから、本当の力とは何かを学びます。士師記はイスラエルの民がモーセによって男性だけで60万人の群衆がエジプトを出た後、荒野で40年過ごし、ヨシュアによって、カナンの地を征服した後のお話です。士師とは、神様から選ばれたリーダーのことです。ヨシュアによる支配といっても、すぐにカナンの地全部を完全に支配したわけではありませんでした。イスラエルの民は原住民族カナン人の一部を残してしまいました。そこから、彼らの神々を拝むようになり、イスラエルの民は堕落してしまいました。その状況から助け出すために選ばれたのが士師です。士師記には12名の士師が登場しますが、その中でもギデオンとサムソンが有名です。士師記に登場する士師すべてが正しい人、模範的な人ではありません。特に、サムソンは外国の女性に心奪われ、自分の強さの秘密をこの女性に話すことによって敵に捕らえられてしまいました。このように力はあっても弱さを持つサムソンがどうして士師に選ばれ聖書に登場するのか理解しがたい人物です。しかし、神様はそのようなサムソンを通して私たちに大切なメッセージを伝えておられるのです。

士師記13章より、サムソンの話が始まります。サムソンの母(マノアの妻)は、不妊の女性でした。その彼女に、主の使いが現れ、男の子が生まれることを告げたのです。そして、その子はナジル人として聖別された者となり、ペリシテ人の手からイスラエルの民を救うと伝えられました。ナジル人とは神様にささげられた人で、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないこと、汚れた物を食べてはならないこと、髪の毛を切ってはならないことが定められていました。サムソンは成人し、力が強いことで有名となり、敵のペリシテ人から恐れられるようになりました。また、サムソンはペリシテの女性を愛し結婚しようとました。そのことで、ペリシテ人とトラブルを起こし、ペリシテ人と対立し、憎まれるようになりました。ある時、サムソンはペリシテの女性デリラと出会い、彼女に心を奪われるほど愛してしまいました。ペリシテの領主たちは、デリラに近づき、サムソンの力の秘密を聞き出すなら、大金を与えることを約束しました。デリラは何度かサムソンに言い寄り、サムソンの力の秘密を知ろうとしましたが、サムソンも真実をデリラに打ち明けませんでした。しかし、サムソンは何度もデリラに責められてついに、自分の力の秘密を彼女に打ち明けてしまいました。それは、自分はナジル人だから、自分の髪の毛がそり落とされたら力を失うということでした。デリラはサムソンを自分のひざの上に寝かせ、ペリシテ人にサムソンの髪の毛を七房そり落とさせました。そして、デリラがサムソンに「ペリシテ人が来ました。」と言うと、サムソンはいつものように、戦いに行きますが、力を失ったサムソンは簡単に、ペリシテ人に捕らえられてしまいました。ペリシテ人はイスラエル人の英雄サムソンを捕らえたことで大喜びしました。捕らえられたサムソンは牢屋に入れられ、目をえぐり取られ、足かせをはめられ、うすを引いていたとあります。しばらくして、ペリシテ人たちは、サムソンを見世物にしようとダゴンの神殿に大勢が集まりました。人々はサムソンを笑い者にしようとサムソンを人々の前に引き出しました。この時、初めてサムソンは神様に祈りました。士師記16章28節「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」サムソンは牢屋にいる間に髪も伸び、力を取り戻していました。サムソンは神殿の二本の柱に寄りかかり、二本の柱を引き抜きました。神殿は大きく崩れ、神殿に集まった多くの者が死んでしまいました。結果的に、サムソンが生きている時に殺したペリシテ人よりも、この時に死んだ者の方が多かったと聖書は記しています。しかし、サムソンの人生は神様の御心にかなった人生だったのでしょうか。サムソンはナジル人として神様から与えられた力を正しく用いたのでしょうか。唯一、サムソンから学ぶことは、最後に、サムソンが自分の弱さに気付き、神様に祈ったことです。力が強いということは、その力に頼り、神様に頼らないことを現しています。結果的にサムソンは自分の無力さを知ることによって神様に頼ることを学びました。私たちも、神様に頼らないで、自分の力や知恵に頼るものではないでしょうか。その結末はサムソンの二の舞いです。

先ほどの、コリント人への手紙第二を書いたパウロも以前は、自分の知恵に頼るもの、自分の正しさを誇るものでした。そのパウロが復活したイエス様と出会って、自分の間違いに気付かされたのです。先ほどパウロが言われた「私の弱さを誇る」とは、弱さの中にキリストの力が現され、キリストの力が自分を覆うからでした。以前お聞きしたお話で、ライフセーバーの人は、溺れている人が完全に力を失わない限り近づかないという話を聞いたことがあります。それは、うかつに近づいて、しがみつかれて共に溺れないためだと聞きました。私たちの力が強い時、神に頼るよりもまだ、自分の力に頼ってしまいます。また、私たちは良いクリスチャンになろうと努力することがあります。その姿は、パリサイ人や、イエス様の前を去ったお金持ちの青年の姿です。私たちの目標は、正しい人になることや、りっぱなクリスチャンになることではありません。私たちの目標は、自分の弱さを認め、自分の力ではなく、神様の力に頼ることです。神様の力に頼るためには、その神様の力を知らなければなりません。神様の力を知り、神様に頼ることを聖書は信仰を働かせるというのです。