「母の祈り、リベカとハンナ」 Ⅰサムエル記1章1節~20節
聖書の中にはたくさんの女性が登場します。今日は、その中から二人の母、リベカとハンナから学びます。
1、知恵と行動力のある人リベカ。(創世記24章、25章、27章)
リベカが最初に聖書に登場するのは、創世記の24章です。アブラハムは年を取り、後継者のイサクにお嫁さんが必要となりました。アブラハムは、今、自分が住んでいるのカナンの地ではなく、わざわざ、遠く離れている自分の生まれ故郷から嫁をもらうように自分のしもべに命じ、自分の故郷に遣わしました。アブラハムのしもべは、アブラハムの故郷に着くと、神様の御心を求めて、一つの条件を出して祈りました。創世記24章14節「私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」と祈りました。そこに、リベカが水を汲みにやって来ました。すかさず、アブラハムのしもべは、リベカに水を求めました。すると彼女は、アブラハムのしもべが祈った通りに、あなたのらくだにも水を飲ませましょうと言って、全部のらくだのために、水を汲みに井戸に走って行ったのです。アブラハムのしもべはそれを見て、リベカこそ神様が選ばれたイサクのお嫁さんと信じて、旅の目的を彼女に話しました。彼女は驚いて、すぐに家のものに知らせに行きました。家の者も驚いて、アブラハムのしもべを丁重にもてなしました。また、アブラハムのしもべは、この知らせを早く主人に知らせたくて、すぐにリベカを連れて、主人の家に帰りたいと申し出ますが、リベカの家族はリベカとの別れを惜しんで、もう数日滞在して下さるように申し出ました。結局、本人であるリベカに聞くことになり、「この人といっしょに行くか。」と彼女に尋ねました。すると、彼女は「はい。まいります。」と答えたのです。ここに彼女の性格が表れているように思います。彼女は、はっきりと自分の意思を伝えることができる女性でした。当時の女性の立場を考えるなら、「父の意見に従います。」とか、「もう少し考えさせてください。」という答えが普通ではないでしょうか。しかし、彼女ははっきりと「まいります。」と自分の意思を伝えたのです。この後リベカは、アブラハムのしもべと共に、アブラハムの家に向かいました。そして、イサクと出会い、イサクはリベカを妻として迎えました。67節「彼はリベカを愛した。」とあります。二人は結婚しましたが、20年経ってもこどもは生まれませんでした。リベカも不妊で悩んでいたのです。そこで、イサクは彼女のために祈願したとあります。ここにイサクの信仰が現れているように思います。アブラハムの妻サラも不妊の女性でしたが、アブラハムが妻のために祈ったという個所がありません。それどころか、妻のサラが自分の女奴隷エジプト人ハガルをアブラハムの妻に差し出すと、簡単に受け入れ、ハガルにイシュマエルを生ませてしまったのです。
神様はイサクの祈りを聞かれ、リベカは双子を身ごもりました。しかし、リベカのお腹の中で、双子がぶつかり合うようになり、彼女は主のみこころを求めたとあります。すると、23節「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」と伝えられました。この後、兄エサウと弟ヤコブが生まれました。リベカはこの預言のことばをどのように受け止めたのでしょうか。この後、兄エサウは体格もよく、狩りの得意な野の人となり、弟ヤコブは家にいて料理の好きな穏やかな人となりました。父イサクは、狩りが好きな兄のエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛したとあります。ヤコブは狡猾な青年となり、狩りで疲れて帰って来た兄の弱みに付けこみ、兄の長子の権利を奪ってしまいました。また、イサクが年を取り、視力が弱くなった時、イサクはエサウに特別な祝福の祈りをするために、獲物を取って来てそれで料理を作るように命じました。それを聞いたリベカは、神様の選びはヤコブであると信じて、彼女はヤコブに、父イサクをだまして、兄の祝福を奪うように勧めました。ヤコブはエサウに成りすまして、兄の祝福を奪ってしまいました。それを知ったエサウはヤコブを憎み、父が亡くなった後にヤコブを殺そうと考えたのです。エサウの考えを知ったリベカは、ヤコブを助けるために、自分の兄ラバンの下にヤコブを旅立させました。その後、ラバンの下で苦労したヤコブは20年後、父の家に帰りますが、その時にはリベカは亡くなっており、二度と二人は会うことができませんでした。リベカはなぜ、神様の約束を信じて、神様の時を待つことができなかったのでしょうか。ここに、知恵があり、行動力のある人の弱点があります。リベカは祈りより先に行動を起こしてしまったのです。
2、祈りの人ハンナ。(Ⅰサムエル記1章)
Ⅰサムエル記の1章にサムエルの母ハンナが登場します。彼女も不妊の女性で、子を産むことができませんでした。ハンナの夫エルカナはハンナを愛していましたが、子孫を残すために、もう一人の妻ペニンナをめとっていました。また、ペニンナには子どもがあり、彼女はそのことで、ハンナをひどくいらだたせたとあります。ハンナはこの状況を変えるために何をしたでしょうか。ハンナは泣きながら主に祈ったとあります。もし、先ほどのリベカがハンナの立場に立たされたら、知恵を使ってペニンナを追い出したかもしれません。実際、アブラハムの妻サラは、自分が子を産めないので、自分の女奴隷エジプト人ハガルをアブラハムの妻に差し出しました。しかし、ハガルはアブラハムの子を宿すと、サラを見下すようになりました。そこで、サラはハガルをいじめて、家から追い出してしまいました。夫エルカナの愛はハンナに向けられていましたから、夫エルカナに頼んで、ペニンナを追い出すこともできたでしょう。しかし、ハンナはそうしませんでした。彼女は全能なる神様に祈ったのです。祈りとは何でしょうか、全能なる神様に全てを委ねることです。それがどれほど力強いか多くの人々はしりません。それゆえ、多くの人々は、祈る前に、自分の知恵に頼って行動を起こしてしまいます。神様はハンナの祈りに応えて、ひとりの男の子を与えられました。それがサムエルです。ハンナは神様との約束の通り、サムエルを神様に仕える者として、祭司エリに託しました。サムエルは成長して、預言者となり、イスラエルの国の指導者になりました。
祈りには力があります。特に涙を流して、我が子のために祈る母の祈りを神様が軽んじるわけがありません。信仰の継承が難しいと言われています。神様が私たちに第一に願っておられることは、行動ではなく、祈りではないでしょうか。祈りは決してむなしいものではありません。私たちが神様を信じて祈るなら、神様は必ず聞き届けてくださいます。「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブの手紙5章16節)