出エジプト記2章1節~10節
神はアブラハムに親族から離れ、神の示す地へ旅立つなら、彼とその子孫を祝福すると約束されました。アブラハムは神の約束を信じて神の示す地カナンへ出かけました。そしてアブラハム100歳、妻のサラ90歳の時に息子イサクが生まれました。イサクはリベカと結婚し双子エサウとヤコブを産みました。神の祝福の約束はヤコブが引き継ぎ、彼は四人の妻を持ち12人の息子を得ました。ヤコブは愛するラケルの子ヨセフを特別に愛しました。そのためヨセフは兄弟たちの妬みを受けエジプトに奴隷として売られてしまいました。しかし、神は彼と共におられました。また、無実の罪で監獄に入れられたヨセフでしたが、エジプトの王の夢の意味を解き明かし、エジプトの総理大臣の地位に任命されました。その後、飢饉が訪れ、食べ物を求めてヤコブの息子たちがエジプトに来ました。初めヨセフは兄弟たちを赦しませんでしたが、すべての営みの背後にある神の計画を知り、兄弟たちを赦し和解することができました。この兄弟たちとの和解は次の出エジプトに繋がる大切な出来事になりました。この後、ヨセフによってヤコブの家族がエジプトに招かれますが、その総数が70名と記録されています。もし、ヨセフと兄弟たちの和解がなかったならば、ヤコブの家族がエジプトに移住することはなかったでしょう。
出エジプト記1章8節「やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。」とあります。この間に約400年の時が過ぎ、イスラエルの民はエジプト中に増え広がりました。新しい王はへブル人(イスラエルの民)を恐れ、彼らを激しく迫害するようになりました。初めは重労働で苦しめますが、それでもへブル人の人口を抑えることが出来ないと、今度は、生まれた男の子を殺すように助産婦たちに圧力をかけました。それでも、へブル人の助産婦たちが従わないので、生まれた男の子をナイル川に投げ込まなければならないと厳しい命令が出されたのです。モーセはそのような厳しい迫害の中に生まれました。モーセの両親は幼子を三か月間かくまいますが、隠しきれなくなり、幼子をかごに入れてナイル川の川岸に置くことを決心しました。誰かに拾われて育てられることを願ったのです。モーセの姉ミリアムはモーセがどうなるか近くで見守っていました。
エジプトの王はへブル人の人口を抑えるために、男の子が生まれたらナイル川に投げ捨て殺すように命じました。しかし、その王の娘がモーセの入ったかごを見つけ、この男の子をかわいそうに思い、養子にして育てようと思ったのです。その時、モーセの姉ミリアムが現われ、この子のために乳母を連れて来ましょうかと王の娘に提案しました。ミリアムは乳母としてモーセの母を呼んで来ました。王の娘は拾い上げた幼子をモーセの母親に託して、彼女に賃金を払い、モーセを養育させました。モーセは安心して母親の許で育てられ、その後、王の娘の子として、王宮で育てられたのです。
モーセはイスラエルの民をエジプトから助け出し、カナンの地に導くために特別に生まれた子でした。そのため、モーセは幼い時、へブル人として育てられましたが、その後、王宮に招かれ、王の娘の子として、エジプト人の中で育てられました。モーセはへブル人の信仰を持ちつつ、エジプト人の教養とエジプト人としての習慣を身に着けたのです。へブル人をエジプトから助け出すためには、この二つの性質を持つ必要がありました。モーセが40歳になった時、彼はへブル人が苦しめられている姿を見て、彼らを助けたいという思いを持ちました。そして、へブル人がエジプト人に打たれているのを見て彼を助けようとしてエジプト人を殺してしまいました。そのような思いは、彼がへブル人として育てられたゆえです。もし、実の母の許で育てられなかったら、そのような感情を持つことはなかったでしょう。また、後に、モーセが80歳になりアロンと共にエジプトの王と交渉しますが、この時の王は、王宮でモーセと共に育てられた王だと考えられます。それゆえ、モーセはエジプトの王と知り合いだったので、エジプトの王と直接交渉できたものと考えられます。へブル人をエジプトから助け出すためには、へブル人としての信仰とエジプトでの王宮での生活の二つが必要でした。神は不思議な導きで、モーセにへブル人の信仰とエジプトでの王宮での生活を体験させることによって、二つの異なった世界の中で生きる者とされたのです。
神の約束はアブラハムの子孫にカナンの地を与えるというものでした。そのためには、ヤコブの家族を一つの国民にする必要がありました。そのためには大きな国が必要で、エジプトはイスラエルの民を養うためには最適な国でした。また、エジプトの迫害がなければ、へブル人たちはそこでの生活に満足して、エジプトを出ることは出来なかったでしょう。そういう意味では、この迫害は、へブル人が神に助けを求め、エジプトを出るためには必要な苦しみだったのです。苦しみには色々な意味があります。神は時として、私たちの信仰を強め、神に助けを求めさせるために試練や苦しみを与えられます。私たちの生活が満たされているとき、私たちは神の助けを必要とはしません。苦しみや試練は、自分の弱さを認め、神に助けを求めるために必要な時があります。
私たちは明日の事もその先の事も分からない者ですが、先の先まで心配する者です。しかし、神は先の先まで覚えて備えて下さるお方です。神はイスラエルの民のためにエジプトの国を備え、イスラエルの民がエジプトを出るためにモーセを備えてくださいました。イエスは群衆に言われました。マタイの福音書6章33節34節「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(食べ物や着る物)はすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」「神の国と神の義をもとめなさい。」とは、神に生活のすべてを支配していただくことです。また、「明日のことは明日が心配します。」という意味は、「明日」とは、明日になっても明日です。明日は永遠に明日です。それは未来を表し、先の事を心配しないで、目の前のその日その日を大切に行きなさいという意味です。
クリスチャンになる前の私の性格はネガティブで、失敗する前に失敗したらどうしようと考え、失敗したときの言い訳を先に考えてしまうような性格で、自分に自信がなく内向的な性格でした。しかし、クリスチャンになってその性格は変わりました。先の事を心配しても仕方がない、今は、神に信頼しようと思うようになったからです。誰も未来の事はわかりません。それを知っておられるのは神だけです。ですから、その神に従って歩むことが一番確かな人生となるのです。