イサクとリベカの性格と信仰の問題

創世記25章19節~26節  2

アブラハムは75歳の時に、神と出会い、神を自分の神として信じる大きな決断をしました。しかし、イサクの場合、生まれたときから、両親が神を信じる環境の中で育てられました。それは恵まれた環境に育てられたのですが、父アブラハムとの大きな違いは、イサクの場合、神を信じると言う大きな決断なく、神を自然に自分の神と信じたことです。それは、幸いなことですが、信仰の面で言えば、いつ神を信じたのかという明確な出来事がないゆえに、あいまいな信仰を持ちやすいと言うことです。しかし、成長の段階で、社会との葛藤の中、神と出会い、信仰を確かにする人が多くいます。しかし、それがない場合、名前だけのクリスチャンとなりやすいことも事実です。クリスチャンホームで育てられた人は、優しく穏やかな人が多い反面、争いを避け、現状に満足する人を多く見ます。イサクはそのような性格の人ではないかと思います。

1、イサクの性格を表す場面(創世記22章)

イサクは父アブラハムに連れられてモリヤの山に向かいました。その時、イサクは幼児期ではなく、少年期の時と考えられます。それゆえ、父アブラハムに縛られるとき、抵抗して逃げることもできたはずです。しかし、聖書にはそのような事が書かれてありません。イサクは無抵抗で父アブラハムに縛られたと考えられます。なぜ、イサクは父アブラハムに抵抗しなかったのでしょうか。それは、イサクに抵抗する力がなかったと言うのではなく、父アブラハムへの信頼があったからではないでしょうか。この場面は、父アブラハムの信仰がたたえられる場面ですが、イサクが父に対して従順な性格を持っていたことを表す場面でもあるのです。

2、リベカの性格を表す場面(創世記24章)

アブラハムは息子イサクのお嫁さんとなる人物を、カナン人の中からではなく、自分の親族の中から選ぶようにと、自分の信頼するしもべを生まれ故郷に向かわせました。それは、アブラハムが、カナン人の習慣(信仰)を嫌ったゆえであると思われます。アブラハムのしもべは、アブラハムの故郷に着くと神に祈りました。13節14節「ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みの出てくるでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。あなたのらくだのためにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしめべイサクのために定められた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」アブラハムのしもべは、イサクの嫁として神様が定めた人を知るために、神に特別な祈りをしました。神は彼の祈りに応えて、リベカを彼の前に連れて来ました。そして、彼女は彼が祈ったように、19節「あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水をくみましょう。」と言ったのです。ここにリベカの性格が表れています。彼女は状況を見て人に言われなくても、何をすればよいかがわかる、賢い女性で、また積極的で労をいとわない働き者であることが表されています。アブラハムのしもべは、彼女がアブラハムの親族であることが分かると、自分の旅の目的を告げ、イサクとの結婚について話をしました。彼女の兄は妹の話を聞き、すぐにアブラハムのしもべを自宅に招き、彼の話を正式に聞きました。父ベトエルと兄ラバンはリベカをアブラハムの家に嫁がせることを了承しました。アブラハムのしもべはこの知らせを早く主人に知らせたくてすぐに主人の待つ家に帰ることを提案しますが、リベカの父と兄は、十日ほど留まるようにアブラハムのしもべに提案しました。最終的に、娘の意見を聞くことになり、「この人と一緒に行くか」と尋ねると、彼女は「はい、行きます」と答えました。ここにも彼女の性格が表れているように思います。家族から離れて、一度も会ったことのない人の家に嫁ぐと言うのに、恐れや不安を感じさせないで、「はい、行きます」と答える彼女は、賢く決断力のある女性であるこがわかります。

3、イサクとリベカの夫婦関係(創世記25章)

イサクは40歳でリベカを嫁にしました。しかし、彼女も不妊の女性でした。そこでイサクは彼女のために祈ったとあります。ここにイサクの信仰を見ることができます。イサクは子を産めないリベカのために主に祈ったのです。そして、彼女が子ども産んだのがイサクが60歳の時と記されています。イサクが彼女のためにどれだけ長く祈ったかは分かりませんが、イサクはリベカが子を産むように20年近く祈り続けたのではないでしょうか。そこに、イサクのリベカに対する愛情を見ることができます。ここで、一つの疑問を感じます。リベカは双子を身ごもりますが、彼女が主の御心を求めたとき、23節「すると主は彼女に言われた。『二つの国があなたの体内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える』」この預言のことばは、弟ヤコブが部族の後継者となり、兄エサウが弟ヤコブに仕えることを表した言葉です。はたして、この神の預言のことばをリベカは夫イサクに伝えたのでしょうか。夫イサクは兄エサウを愛し彼を後継者に考えていました。もし、妻のリベカが夫イサクにこの預言のことばを伝えていたとしたら、イサクは、神の預言のことばを軽く考えていたか、妻の話を信じていなかったことになります。また、もしリベカがこの神の預言のことばを夫に伝えていなかったとしたら、夫婦の信頼関係に問題があったのではないでしょうか。聖書を見るなら、後者の可能性が高いように思われます。イサクは狩りが好きなエサウを愛し、リベカは天幕で過ごすヤコブを愛しました。この二人のかたよった愛し方によって、神の家族に破綻を招いてしまいました。

4、夫婦の危機(創世記27章)

夫イサクがエサウを自分の後継者として特別な祝福の祈りをすることを知り、妻のリベカはどうしたでしょうか。彼女はヤコブを呼び、視力が衰えた父をだまし、兄に成りすまして、兄の祝福を奪うように命じたのです。ヤコブは、父に見破られることを恐れ、躊躇しますが、母に背中を押されて兄に成りすまし、兄の祝福を奪ってしまいました。リベカはなぜ、そこまでして、ヤコブに後継者になってほしかったのでしょうか。一つは、ヤコブへの愛情のためと、もう一つは、神様の預言のことばを実行するためでした。彼女はこのままでは、兄のエサウが祝福を受け父の後継者になることを恐れたのです。確かに彼女の動機は神のためでした。しかし、その方法は間違っていました。神は夫をだましてヤコブが祝福の祈りを受けることを喜ばれるお方ではありません。彼女は神に委ねて祈るべきでした。彼女は知恵があるために間違った方法を用いてしまったのです。私たちも、彼女と同じ間違いを犯しやすい者です。神が私たちに願うことは、私たちが神に従うことであり、神の計画を自分の力で実行することではありません。神の計画に従うとき、私たちに必要なのは、神の時を忍耐し祈り待つことです。この後、ヤコブは兄に憎まれ、叔父のラバンのもとに逃げます。そこで、20年暮らして、その後、神はヤコブに生まれ故郷に帰るように命じます。彼は、兄を恐れつつも生まれ故郷に帰りますが、この時、母リベカはすでに、亡くなっていました。ヤコブが叔父のラバンのもとに向かった後、母と子は生涯、会うことができませんでした。

私たちは、一時間先のことも知ることができない者です。しかし、神はすべてを知った上で神の計画を完成されます。神は時間に制限されるお方ではなく、時間を超えられたお方です。神にとって一日は千年のようであり、千年は一日のようだと聖書に記されています。それゆえ、私たちは、自分の知恵や力に頼らず、神にすべてを委ねて、神の時を待ち望むことが必要なのです。