創世記24章55節~67節
先週は神に選ばれたアブラハムとその妻サラについて学びました。今日はアブラハムの子イサクとその妻リベカについて学びます。
1、イサク
神学校で学んでいる時、何人か牧師の家庭から献身して神学校に来た人々がいました。彼らの特徴は、柔和で穏やかな性格の人が多く見られました。カウンセリングを学んだ時、幼い時に十分に両親の愛を受けて育てられた人は、穏やかな性格を持つと教わりました。逆に、幼い時に両親の愛を十分に受けることが出来なかった人は、人を疑いやすく不安定な性格を持つと教えられました。すべてがそうではないでしょうが、確かにその傾向はあるように思います。イサクはアブラハムが百歳、サラが九十歳の時に生まれた子です。歳を取って生まれた子は特別に可愛いと言います。また、イサクは神が二人に約束した子です。二人はどれほど大切にイサクを愛し育てたことでしょう。イサクの穏やかな性格は、両親の愛を十分に受けた特別な恵みでした。
創世記の22章2節「神は仰せられた。『あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。』」神は何故、アブラハムにそのような厳しい命令を与えたのでしょうか。聖書には、はっきりとその理由は記されていません。聖書のことばから想像すると、アブラハムは知らないうちに、神よりもイサクを大切に思い、愛したからではないでしょうか。それゆえ、神は、アブラハムにそのことを教えるために、アブラハムにイサクを全焼のささげ物として献げるように命じたのです。それほど、アブラハムはイサクを愛したのです。しかし、アブラハムは神の命令を受けた時、躊躇することなく、神のことばに従いモリヤの地にイサクを連れて出かけました。また、この時、イサクは薪を背負ってアブラハムに従ってついて行きました。9節「神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。」とあります。イサクはなぜ、逃げたり抵抗したりしなかったのでしょうか。そこに、父アブラハムを信じるイサクの信仰が表れています。アブラハムがイサクを殺そうとしたとき、主の使いがアブラハムを止めました。12節「御使いは言われた。『その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。』」とあります。この場面はアブラハムが神のことばに従う信仰を持っているとを表した場面ですが、同時に、父アブラハムを信頼するイサクの信仰を表した場面でもあるのです。
また、イサクがリベカを妻に迎えたのが40歳のときでした。リベカは不妊の女性でイサクは彼女のために祈ったとあります。彼女が双子のエサウとヤコブを産んだとき、イサクは60歳でした。イサクはリベカのために20年間、祈り続けたのです。ここにもイサクの信仰が現わされています。また、イサクは生涯リベカだけを愛し、他の女性を妻に迎えることはありませんでした。当時の一夫多妻の社会では珍しいことです。それほど、イサクはリベカを愛したのです。
2、リベカ
創世記の24章にリベカの性格を表した場面があります。アブラハムは年を取り、息子イサクのために嫁を迎えることにしました。そこで、アブラハムは信頼するしもべを呼び、自分の故郷から妻を迎えるようにしもべを送り出しました。彼はアラム・ナハライムのナホルの町に着くと神に祈りました。創世記24章13節14節「ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください。』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」彼が祈り終わると、リベカが登場し、このしもべが祈ったように彼女はらくだにも水を飲ませたのです。リベカは賢い女性で、このしもべのらくだにも水が必要であることを気付いて、彼に言われる前に、らくだにも水を飲ませたのです。20節「彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲みに、再び井戸まで走って行き、すべてのらくだのために水を汲んだ。」とあります。「すべてのらくだのため」とあります。彼女は労をおしまず、すべてのらくだに水を飲ませたのです。ここに彼女の性格が表れています。
また、結婚が決まり、宴会が催されましたが、アブラハムのしもべは早くリベカを連れて主人の家に帰りたいと願いましたが、リベカの家族は彼女との別れを惜しんで、なかなか彼女を手放そうとはしません。そこで、彼女自身に意見を聞くことになり、彼女に言いました。58節「彼らはリベカを呼び寄せられ、『この人と一緒に行くか』と尋ねた。すると彼女は『はい、行きます』と答えた。」どこへ嫁ぐのかも知らず、誰に嫁ぐのかも知らないのに、彼女は、はっきりと、自分の意思でイサクのもとに嫁ぐことを決断しています。当時の女性としては珍しいことではないかと思います。ここに、彼女の聡明さと決断力と行動力がある女性の姿が表されています。
理想的な二人が結婚して、さぞ素晴らしい家族が誕生するかと思いましたが、どこの家庭にも問題があるように、イサクとリベカの家庭にも問題がありました。リベカは双子の男の子を産みました。長男はエサウ。次男はヤコブです。神様の御計画では、生まれる前からイサクの後継者はヤコブであることが預言でリベカに示されていました。しかし、父イサクは見た目にたくましく、狩りが好きなエサウを後継者にしようと考えていました。リベカは夫に神の計画を伝えなかったのか。また、イサクはリベカの話を聞いても自分の思いを優先させたのかはわかりません。イサクは後継者について神に祈ることはありませんでした。それほど、エサウがたくましく、ヤコブがひ弱に見えたのでしょうか。リベカは神のことばを信じて、ヤコブこそが後継者になるべきだと考えていました。エサウは見た目はたくましくとも、判断力と知恵に欠けていました。ヤコブは見かけは弱く見えても知恵に長けていました。イサクの目がかすむようになり、彼はエサウに特別な祝福の祈りをささげ、自分の後継者にしようとエサウを呼び、獲物を取ってくるように命じました。それを知ったリベカは、神の計画を成就するために、ヤコブを呼び寄せ、兄に成りすまして祝福を奪うように命じたのです。ヤコブは恐れつつも、母リベカのことばに従い、兄に成りすまして父イサクから祝福の祈りを兄から奪い取ってしまいました。このことが兄エサウに知れると、彼はヤコブを憎み、父の死の後、ヤコブを殺そうと計画しました。それを知ったリベカはヤコブのいのちを助けるために、自分の兄のラバンのもとに身を隠すように言い、ヤコブを自分の故郷に送り出したのです。ヤコブは叔父のラバンの下で苦労して暮らしますが、20年後に神のことばに従い、生まれ故郷に帰りました。その時、すでにリベカは亡くなっており、二度と会うことが出来ませんでした。もし、イサクとリベカが話し合っていたら、この悲劇は起こらないで済んだでしょう。しかし、リベカは知恵があるために、神の計画よりも自分の知恵を働かせて、夫をだまし、ヤコブに祝福の祈りを受けさせたのです。賢いことは良いことですが、使い方を間違えるなら、その良いもので災いを招くことになります。たとえ、神の計画とはい、夫をだまして、ヤコブに祝福の祈りを受けさせることは、神の御心ではないはずです。彼女は神にゆだね、神の時を待つべきでした。賢い人が陥りやすい失敗です。私たちも、祈りつつ、何が神の御心であるのか、神の時を待ち望む信仰を持ちたいと思います。