創世記25章20節~28節 先週はアブラハムとイサクの親子関係を通して、アブラハムの信仰について学びました。今日は、イサクとリベカの夫婦関係と双子エサウとヤコブについて学びます。 アブラハムは妻サラの死の後、息子イサクの伴侶を求め自分の信頼するしもべを故郷へと遣わしました。そのしもべが神に祈ると、リベカがしもべの前に現れました。しもべは神の導きを信じ、リベカの父と面会し、正式にリベカを自分の主人の妻となるように申し出ました。リベカの父はその申し出を快く受け入れ宴会を開きました。しもべは早くリベカを主人のもとに届けたいので、主人のもとに帰らせてくださいと申し出ました。しかし、リベカの家族は彼女との別れを惜しみ、十日間ほどとどめたいと申し出ました。そこで、娘(リベカ)に意見を聞くことになりました。創世記24章58節「彼らはリベカを呼び寄せて、『この人と一緒に行くか』と尋ねた。すると彼女は『はい、行きます』と答えた。」とあります。行ったことのない土地。また、会ったことのない人に嫁ぐのに。彼女ははっきりと自分の意見を述べました。ここに彼女の性格が表れているように思います。また、彼女はアブラハムのしもべに出会った時、彼とそのらくだにも水を飲ませています。彼女は行動力があり聡明な女性ではないかと思います。その後、イサクとリベカは結婚しますが、彼女も不妊の女性でした。イサクは彼女のために祈ったとあります。それから20年して双子のエサウとヤコブが生まれました。イサクは生涯一人の女性リベカを愛しました。当時の状況を考えると、妻が不妊の場合、もう一人妻を迎えることは普通の事だったでしょう。しかし、イサクはリベカを愛し、彼女のために20年間祈り続けたのです。そこにもイサクの信仰が現れているように思います。 リベカが身ごもると、子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになり、彼女は心配して、主のみこころを求めました。創世記25章23節「すると主は彼女に言われた。『二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。』」そして、双子が生まれ、兄エサウは野の人となり、弟ヤコブは穏やか人で天幕に住んだとあります。28節「イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた。」とあります。はたして、リベカは先程の主の預言のことばを夫イサクに伝えたのでしょうか。もし、伝えたのにイサクがエサウを愛し後継者にと考えたのなら、イサクは主のことばを無視したことになります。また、リベカが夫イサクに主のことば伝えなかったとしたら、夫婦の間に問題があったのかもしれません。しかし、この事が後に大きな問題になります。 エサウは狩りが好きな野の人となりました。また、弟ヤコブは天幕に住み料理を作るような性格でした。族長の父にしてみたら、兄エサウの方がたくましく、族長にふさわしいと思ったでしょう。また、天幕で料理を楽しむ弟のヤコブには期待しなかったでしょう。しかし、神の選びは生まれる前からヤコブでした。母リベカはそのことを胸に留め、いつかヤコブが族長になることを願っていました。同じ双子の兄弟でも性格は全く違いました。兄エサウは外交的な性格となり、弟ヤコブは内向的で狡猾な性格に育ちました。 ある日、エサウが狩りから帰った時、ヤコブは煮物を煮ていました。エサウはお腹を空かし、ヤコブに煮物を食べさせてくれと頼みました。ヤコブは相手の弱味に付け込み「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください。」と申し出ました。エサウはお腹がすいて我慢が出来ず、ヤコブに長子の権利を譲る約束をしてしまいました。聖書はこの出来事を「エサウは長子の権利を侮った」と記しています。確かに、兄エサウが軽率なことは明らかですが、兄の弱味に付け込む、弟ヤコブの狡猾な性格が現わされた出来事です。 さらに、イサクの妻リベカは息子ヤコブのために大きな罪を犯してしまいました。イサクは年を取り目がかすむようになりました。そこでイサクはエサウを呼び、彼に猟に行って獲物を捕らえ、おいしい料理を持って来るように命じました。そして、彼に特別な祝福を与えると約束しました。リベカはそれを聞いて困惑しました。彼女は、この特別な祝福の祈りは弟のヤコブが受けるべきだと考えたのです。そこで、リベカはヤコブを呼び、兄に成りすまして祝福を奪うように命じたのです。ヤコブは兄に成りすまして父イサクに近づき、父をだまして兄の祝福を奪ってしまいました。それを知った兄エサウはどうしたでしょう。弟ヤコブを憎み、父が亡くなった後ヤコブを殺そうとたくらんだのです。それを知った母リベカはヤコブを呼び出し、自分の生まれ故郷に逃れて、兄の怒りが収まるまで身を隠すように言いヤコブを送り出したのです。その後、ヤコブは叔父のラバンのもとで20年間働くことになります。その間に母リベカは亡くなり、二人は二度と会うことはありませんでした。 ここでいくつかの問題点が浮かびます。イサクはなぜ、後継者を選ぶのに、主に求めないで、見た目だけで兄のエサウを選んだのでしょうか。ここにイサクの問題点があります。リベカは、二人が生まれる時、主の御心が兄が弟に仕えるという主のことばを聞きました。彼女はなぜ、主のことばを夫イサクに伝えなかったのでしょうか。また、彼女はヤコブを愛するがゆえに、夫をだまし、ヤコブに兄の祝福の祈りを奪わせました。主の御心がヤコブにあるならば、神に委ねるべきでした。しかし、彼女は自分の知恵に頼み、夫をだまして、ヤコブに祝福の祈りを奪わせたのです。兄エサウは狩りが得意な人でしたが、思慮の深い人ではありませんでした。単純で目に見える物で満足する性格でした。彼はもっと長子の権利(神から与えられる祝福)を大切にするべきでした。ヤコブは知恵のある聡明な人物でしたが、狡猾な面があり、相手の弱味に付け込んで、相手をだましても自分が有利になることを考える人でした。ヤコブは母の意見に反対することもできたでしょう。しかし、彼は母に責任を押し付けて、兄の祝福を奪ったのです。20年後、エサウとヤコブは再会して和解します。しかし、父の財産は兄エサウがすべて自分の物にしています。ヤコブは目に見える父の財産は何一つ受け取りませんでした。しかし、ヤコブは主の祝福をしっかり受け継いでいたのです。その祝福とは、神がアブラハムに与えた祝福です。確かにエサウから一つの国エドム人が生まれますが、この後、イスラエルの国と対立する国となります。エサウの子孫は神の祝福から離れ、目に見える財産を求める国民となりました。しかし、ヤコブの子孫はイスラエルの民となり、神の祝福はイスラエルの民に受け継がれ、救い主イエス・キリストの誕生へと繋がって行くのです。