ギデオンとサムソン

「ギデオンとサムソン」士師記6章11節~16節

士師記は、モーセによってイスラエルの民がエジプトから脱出し、荒野を通って、ヨシュアによってカナンの地を征服した後のお話しです。この時、すでにヨシュアは亡くなっていました。イスラエルの民によるカナンの地の征服は容易ではりませんでした。中でも一番大きな問題は、イスラエルの民がカナン人の生活を取り入れると共に、カナン人の宗教を取り入れたことです。彼らはイスラエルの神を捨てて、カナン人の神々を礼拝するようになったのです。神様はイスラエルの民をもう一度ご自分の民とするために、周りの国々を用いて、イスラエルの国を苦しめました。イスラエルの民はこの苦しみの中で神様に助けを求めました。その叫びに応えて、神様が選ばれたのが士師と呼ばれる指導者でした。今日は、士師の中でも対照的な二人、ギデオンとサムソンについて学びます。

1,ギデオン

士師記6章1節「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った。そこで、主は七年の間、彼らをミデヤン人の手に渡した。」とあります。この苦しみの中、イスラエルの民は神様に助けを求めました。そして、神様は彼らの叫びを聞いて一人の預言者を遣わしました。そして、神はイスラエルの民に悔い改めを求められました。そのような状況で神様に選ばれたのがギデオンです。主の使いがギデオンに現れ12節「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と声をかけました。また、14節「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」それに対してギデオンは15節「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」と答えました。ギデオンの家はマナセの部族の中でも小さな家系で、ギデオンはその中でも年若く何の権限も持っていませんでした。そんな者がどうやってイスラエルの民を助けることができるのか。ギデオンは主の使いのことばを素直に受け取ることができませんでした。そのため、ギデオンは神様に二つのしるしを求めました。一つは、羊の毛を刈り、その羊の毛だけに露が降りて、周りの地面が乾いている状態。もう一つは周りの地面が露で濡れているが羊の毛だけが乾いている状態。神様は、ギデオンの望む状態を作り出し、神様がギデオンと共におられることを証明されました。ギデオンは、神様の助けを信じて立ち上がり、イスラエルの民に呼びかけると、ギデオンのもとに三万二千人が集まりました。しかし、神様はその数を見て人が多すぎると言われました。そこで、ギデオンが「恐れ、おののく者はみな帰りなさい。」というと二万二千人が帰り一万人が残りました。しかし、それでも、まだ多いと神様は言われました。そして、民を川へ連れていき、手を組んで水を飲んだ者三百人で戦うように言われたのです。普通、一人でも多くの人がいるほうが安心します。それなのに、三万二千人集まったのに三百人で戦えと言われたのです。しかし、ギデオンは神様の言葉に従い、三百人で寝ているミデヤン人に奇襲攻撃を仕掛け大勝利を得たのです。この出来事を通して、私たちは神様の言葉に従うことの難しさを学びます。しかし、また、神様の言葉に従った者に与えられる恵みと神様から与えられる祝福についても学ぶのです。

2,サムソン

サムソンのお話しは、士師記13章から16章まで書かれています。この時の敵はペリシテ人でした。サムソンのお話しの中で大切なことは、彼は生まれた時からナジル人として神様にささげられた者であるということです。そのためナジル人は、ぶどう酒を飲んではいけないこと。死体に近づいてはいけないこと。汚れた動物を食べてはいけないこと。髪の毛を切ってはいけないことなどが定められていました。しかし、サムソンの生活は、髪の毛を切ること以外は守っていませんでした。彼は、ペリシテの女性デリラを愛します。しかし、彼女はペリシテ人にお金で買収され、サムソンの弱点を聞き出すように頼まれたのです。サムソンは彼女を愛するあまり、自分の弱点を彼女に告げてしまいました。そして、サムソンは髪の毛を切られ力を失ってしまいました。そして、捕らえられ両目をえぐり取られてしまったのです。しばらく時がたち、ダゴンの神のために盛大な宴会が催されました。ペリシテ人たちは陽気になり、サムソンを引き出して見世物にしようとしました。この時、サムソンの髪は再び伸び始めていました。サムソンはこの時、神様に祈りました。士師記16章28節「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞこの一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために。もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」そうして、二本の柱によりかかり、柱を倒すことによって建物を崩壊させ、自分も含めて多くのペリシテ人を殺したのです。はたして、サムソンの生き方は神様の御心に叶っていたのでしょうか。彼は、ナジル人として神様に選ばれながら、それにふさわしい人生を歩みませんでした。しかし、最後に、彼は神様に祈ることを思い出し、自分と共にペリシテ人の多くの命を奪うことによってイスラエルの民を救ったのです。

ギデオンとサムソンは対照的な人物でした。ギデオンは気弱で、疑い深い人間でした。しかし、彼は、大切な所では、しっかりと神様の言葉に従う信仰を持っていました。サムソンは力が強く、自分の力に頼るものでした。しかし、女性に弱く、自分の力の秘密を漏らすことによって自分の身に危害を招いてしまい、両目をえぐられ囚われの身となってしまいました。最後に、サムソンは神様に祈りますが、自らの命を絶つことになってしまいました。パウロは、私の力は、弱さの内に現されると言いました。私たちは、サムソンのように自分の力、知恵に頼りやすいものですが、ギデオンのようにしっかりと神様のことばを聞き、従う者になりたいとおもいます。