サウロ王と息子ヨナタン

サムエル記第一9章1節2節 

 イスラエルの民がエジプトを出て40年が経ちました。彼らは自分たちの不信仰のゆえに荒野を40年もさまよい歩きました。神はモーセに変えて新しいリーダーヨシュアを選び、彼によってカナンの地を征服させました。そして士師の時代となりました。士師とは神によって選ばれたリーダーで、彼によって神はその地を支配させました。しかし、預言者サムエルが歳をとると、イスラエルの民は他の国々のように王を求めました。しかし、その事はサムエルにとって気に入りませんでした。なぜなら、王政になれば、神に反抗する王が誕生し国が亡びることをサムエルは知っていたからです。しかし、イスラエルの民は王を求めました。神は彼らの願いを聞き入れ、王を立てることを認めました。そして、最初に神に選ばれた王がサウルです。

 サムエル記第一の9章に、サウルについて書かれてあります。彼はベニヤミン族に属していました。イスラエルの12部族の中で、ベニヤミン族は決して大きな部族ではありません。それどころか小さな部族です。神はイスラエルの王を大きな部族の中からではなく、小さなベニヤミン族から選びました。また、彼の容姿は美しく「だれよりも、肩から上だけ高かった」とあります。体格がよく王にふさわしい姿でした。神はサムエルを通してサウルに油を注ぎイスラエルの王に任命するように命じました。サムエルが民の前に新しい王としてサウルを紹介しようとしましたが彼の姿が見当たりません。サウルは自分が王に選ばれることを信じることが出来ずに、荷物の間に身を隠していたのです。サウルはベニヤミンという小さな部族から王に選ばれたことを喜び、初めは一生懸命神のために働きました。

しかし、サウル王はしだいに高慢になり、神のことばよりも自分の考えを優先するようになりました。神はサウル王にアマレク人を聖絶するように命じましたが、彼は神のことばに従わず、価値のない物だけを聖絶し、最も良い物を持ち帰ってしまいました。サムエルがその事をサウル王に指摘すると、彼は神様にささげるために持ってきましたと偽りの言い訳をしました。サムエルはサウル王に言いました。サムエル記第一15章22節23節「サムエルは言った。『主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」こうして、サウル王は神から退けられ、神は新たに羊飼いの少年ダビデをサウル王の代わりに王に任命したのです。しかし、ダビデはすぐに王に就任したわけではありません。サウルは依然として王位に就いていました。ダビデはペリシテ軍の勇士大男ゴリヤテを倒し、一躍、有名人になりました。サウル王も初めはダビデの活躍を喜びましたが、次第にダビデの人気は大きくなり、サウル王はダビデを恐れ、彼を殺そうとするようになりました。しかし、神はダビデを助けました。ダビデは自分の身を守るために外国へと身を移しました。

サウル王にヨナタンという息子がいました。彼は神を信じ神に従う若者に成長しました。イスラエルの国とペリシテの国の戦の時、ヨナタンは道具持ちと二人で勇敢にもペリシテ人に戦いを挑みました。サムエル記第一14章6節「ヨナタンは道具持ちの若者に言った。『さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いなるのを妨げるものは何もない。』」と言って崖を上り、多くのペリシテ人を一人で倒し、イスラエルの国に勝利を導きました。ダビデがまだ軍人になる前、ダビデはイスラエル兵が恐れる大男ゴリヤテと戦い彼を倒し、イスラエルを勝利に導きました。ヨナタンはダビデの働きに感動し生涯の友となったのです。サムエル記第一18章1節「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。」3節「ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。」とあります。ダビデがサウル王から憎まれたとき、ヨナタンは父サウルにダビデの誤解を解こうと働きますが、父サウルはヨナタンのことばに耳を傾けませんでした。結局、ダビデはサウル王の自分に対する殺意が無くならないことを知り、ダビデはヨナタンと別れて荒野へと身を隠すことにしました。この後、サウル王とヨナタンはペリシテ人との戦いに敗れ殺されてしまいました。ダビデは南ユダの人々の支持を得て、南ユダの王に就任しました。北イスラエルはサウルの子イシュ・ボシェテが王に就任しました。次第に、ダビデの力が強くなり、イシュ・ボシェテは謀反によって殺され、ダビデ王がイスラエルの国の王に就任しました。ダビデが国を一つにしたとき、ダビデはヨナタンの子を捜しました。そしてヨナタンの子メフィボシェテを見つけ、ヨナタンのゆえに彼に恵みを施し、王の家で過ごすことを許したのです。

サウル王は、自分が小さな部族であるにも関わらず、イスラエルの王に神によって選ばれたことを大いに喜びました。しかし、次第に神の恵みを忘れ、神のことばよりも自分の意思を優先するようになりました。また、神がダビデを選ばれたことを知ると、自分の地位を守るために全力でダビデを殺そうとしました。そんな、傲慢で自分勝手なサウル王でしたが、その子ヨナタンは純粋に神を信じる信仰を持つ若者に成長しました。また、同じ信仰の友としてダビデを愛しました。なぜ、サウル王のような父のもとで成長したヨナタンはそのような純真な信仰を持つことが出来たのでしょうか。確かに、環境は私たちの心に大きな影響を与えます。それだからといって、悪い環境に生まれた者が悪い者になるわけではありません。また、逆に、恵まれた環境に生まれても、悪いことをする人はたくさんいます。大切な事は、環境に流されることなく、私たちを愛してくださっている神と出会うことです。先週学んだ、ヤコブも人をだます狡猾な人でしたが、神と出会い、彼の人格は変えられていきました。私たちも同じことです。どんな環境に生まれたとしても、神は私たちを見捨てることはしません。私たちが神を信じ、神と共に歩む決心をしたとき、私たちの人生は180度変わるのです。以前、私はお金第一主義でした。お金さえあれば幸せになれると信じていました。しかし、今はそうは思いません。お金は大事なものですが、お金に執着するとき、私たちは道を外してしまいます。何を第一とするべきでしょうか。それは、この天地を創られた真の神、私たちを愛しておられる真の神を第一とすることです。神は私たちの罪を赦し、天の御国に私たちの住まいを備えられたと聖書に記されています。これこそが永遠のものであり、私たちが求めるべき唯一のものなのです。