「ダビデとアブシャロム」Ⅱサムエル記15章1節~14節
エジプトを出たイスラエルの民は、荒野で40年間生活した後、ヨシュアによって、カナンの地に侵入し、その地を征服し自分たちの国としました。しかし、その国は12の部族に分割され、それぞれの族長によって支配されました。サムエル記第一に入って、サムエルが預言者として、国を治めるようになりましたが、イスラエルの民は、周りの国のように王様を求めました。サムエルはそのことに反対でしたが、神様がサムエルに民の言葉に従うように言われたので、神様が選ぶ人を王とすることで承諾しました。そして、神に選ばれたのが、サウルです。彼は、初めは神様のことばに従いますが、次第に高慢となり、神のことばを退け、自分の利益や名誉を求めるようになり、神様によって退けられてしまいました。そして、次に神様が選ばれたのがダビデでした。しかし、ダビデはサムエルによって王に任命されましたが、サウルは依然として、王として国を支配しました。また、サウルはダビデの人気が高まると、彼を恐れ、ダビデを殺そうと熱心に働きました。しかし、神様はダビデの命を守り、危機を乗り越えさせてくださったのです。結局、サウル王は、ペリシテの国と戦って戦死しました。サウルが亡くなり、しばらくしてダビデが王に就任し、イスラエルの国は、安定し発展しました。サムエル記第二から、ダビデの王としての生活が描かれています。
ダビデ王は、周りの国々との戦争で勝利し、その支配を広げていきました。しかし、ダビデが王としての地位が確立すると、ダビデは大きな罪を犯してしまいました。ダビデは自分の部下ウリヤの妻を自分の妻とするために、ウリヤを激戦地で戦死させ、彼の妻バテ・シェバを奪ってしまったのです。神は預言者ナタンをダビデ王に遣わし、ダビデの犯した罪を責めました。ダビデは神様の前に、自分の罪を認め悔い改めましたが、その子は病気で死んでしまいました。このダビデが行った罪は、ダビデの家族全体に災いとなってしまいました。ダビデの長男アムノンは、腹違いの兄弟アブシャロムの妹タマルを愛してしまいました。そして、アムノンは自分が病気であるとタマルに偽り、自室に招き、彼女に乱暴を働き、彼女を辱め、部屋から追い出してしまいました。それを知ったダビデは激しくアムノンのことを怒りましたが、何の処罰も与えませんでした。アブシャロムは父ダビデ王がアムノンにどのような処罰を下すか様子を見ますが、二年の歳月が過ぎても、アムノンに何の処罰も下されませんでした。そこで、アブシャロムは自らアムノンを殺し、他国へと逃亡したのです。ダビデはアムノンの死を悼んで、アブシャロムを赦そうとはしませんでした。
三年後、ダビデの将軍ヨアブが、ダビデ王にアブシャロムを赦すように進言し、ダビデはアブシャロムを呼び戻しますが、初め、アブシャロムはダビデ王と会うことすら赦されませんでした。第二サムエル記14章33節で、アブシャロムはダビデの前にひれ伏して礼をし、ダビデもアブシャロムに口づけしますが、この時、形だけで本当の和解とはなりませんでした。アブシャロムにとって、罪を犯したアムノンを罰しない父ダビデ王は、王として失格者と映りました。彼は、父ダビデ王を殺して自分がイスラエルの王となることを決心したのです。アブシャロムは4年の歳月をかけて、多くの自分の支持者を集め、クーデターの準備をしました。そして、時を選んで実行に移したのです。しかし、ダビデ王もその情報を得て、エルサレムを逃げ出しました。その際、多くの部下もダビデ王に従いました。ダビデは部下と共に山に身を隠しました。アブシャロムはダビデと戦うために多くの軍勢を集めました。ダビデは、自分の軍隊が戦いに行くときに、アブシャロムの命だけは助けるように懇願しました。実際にダビデ軍とアブシャロムの軍隊が山で激突しました。そこで、ダビデの軍隊が優勢となり、アブシャロムの軍二万人が倒れたとあります。また、アブシャロム自身もこの戦いでダビデの部下に殺されてしまいました。ダビデ軍の勝利がダビデ王に知らされましたが、ダビデは、アブシャロムが殺されたことを聞いて、深い悲しみに襲われました。ダビデはアムノンとアブシャロムの二人の子を失ってしまったのです。
ダビデとアブシャロムの関係を通して幾つかの大切なことを学びます。
1.ダビデは、イスラエルの国の王であるにも関わらず、自分の息子アムノンの命を惜しんで、正しい裁きを行いませんでした。アブシャロムは父ダビデが、アムノンを正しく裁かないがゆえに、父ダビデ王に失望し、自ら兄弟であるアムノンを殺して他国へ逃亡しました。ダビデが王として、正しくアムノンを裁いていたらこの悲劇は起こりませんでした。ダビデは息子のアムノンを愛していました。殺したくはなかったでしょう。しかし、ダビデは、イスラエルの王として正しい裁きを下さなければならなかったのです。
2.将軍ヨアブの進言によって、ダビデはアブシャロムをイスラエルの国に呼び戻しますが、心からアブシャロムを赦して呼び寄せたわけではありませんでした。アブシャロムにもダビデ王の気持ちが伝わり、二人の関係はギクシャクしたままでした。アブシャロムは依然、父ダビデ王に失望し、自分こそ王にふさわしいと思い込み、ダビデ王を殺し、自ら王になることを決心したのです。
ダビデ王は、アムノンを殺したアブシャロムを赦すことができませんでした。もし、将軍ヨアブの進言を受け入れ、アブシャロムを国に呼び返したとき、ダビデが自分の罪を認め、アブシャロムと和解をしていたら、この悲劇は起こりませんでした。人を赦すことは難しいことです。しかし、憎しみを持ち続けることは、本人にとっても良いことではありません。憎しみは憎しみしか生まないからです。カインはアベルに神へのささげ物のことで嫉妬し、憎しみを抱きました。神様はカインにその憎しみを治めるように命じましたが、カインはアベルへの憎しみを治めることができずにアベルを殺してしまいました。その結果、カインはさらに神様から遠ざけられてしまいました。マタイの福音書6章でイエス様は主の祈りの後でこのように言われました。14節15節「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」私たちは神様の御前に、罪赦された者です。イエス様は私たちの罪の問題を解決するために十字架で死んでくださいました。人間の力では人を赦すことはできませんが、神様は私たちに、人を赦す力を与えてくださいます。私たちは、自分が神様から多くの罪を赦していただいた罪人であることがわかるとき、はじめて、人をも赦すことができるのです。