「モーセの姉ミリヤム」出エジプト記15章19節~21節
モーセがエジプトで生まれたとき、それは、エジプトに住むヘブル人にとって一番苦しい時代でした。エジプトの王は、ヘブル人の人口が異常に増え広がるのを恐れ、迫害し男の子が生まれたら、ナイル川に投げ込まなければならないと厳しく命じていました。モーセの両親は何とかモーセを助けようとしましたが、それでも限界があり、モーセの命を助けるために、モーセをかごに入れてナイル川の岸に置くことを決めました。誰かに見つけられ助けられることを願ったのです。モーセの姉(ミリヤム)はモーセのことが心配で、遠く離れて立っていたとあります。そこに、何とエジプトの王パロの娘が水浴びをするためにナイル川にやって来ました。そして、その王女がモーセを見つけたのです。パロの娘は、その子がヘブル人の子どもであることを知り、哀れに思い、その子を自分の子として育てることを決めました。その光景をモーセの姉ミリヤムは一部始終を見ていました。そして、ミリヤムはすかさず、パロの娘の前に現れこう言いました。7節「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるために、私が行って、ヘブル人女のうばを呼んでまいりましょうか。」そう言って、ミリヤムは自分の母を呼んで来ました。パロの娘はモーセの母に言いました。8節「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたに賃金を払いましょう。」モーセは、エジプトの王の娘の援助のもと、自分の母のもとで安心して、大きくなるまで育てられることになったのです。
モーセが、ヘブル人の自分の家庭で育てられたことは、後のモーセにとってかけがえのない財産となりました。モーセが40歳になった時、モーセは同じ民族の苦しむ姿を見て、この苦しみからヘブル人を助けたいと思いました。モーセはエジプトの宮殿で王の娘の子として育てられても、自分がヘブル人であることを忘れませんでした。また、モーセは幼い時、ヘブル人の歴史と、天地を創られた創造主なる神様について母親から話を聞いていたでしょう。その幼い時の教育と生活が、後のモーセの人生に大きな影響を与えたのです。もし、ミリヤムが王の娘にモーセの乳母として、モーセの母を紹介しなければ、モーセは自分がヘブル人であることを知らなかったかもしれません。そうすれば出エジプトもどうなっていたかわかりません。幼いモーセの姉ミリヤムが行った勇気ある行動は、モーセだけではなく、イスラエルの歴史にとって大きな働きとなったのです。
次に聖書にミリヤムが登場するのが、ヘブル人がエジプトを出て、紅海を歩いて渡ったときです。モーセはイスラエルの神が海を二つに分け、海の乾いた地を渡らせるという大いなる奇蹟を体験し、イスラエルの民と共に主を褒めたたえました。また、ミリヤムもタンバリンを手に、女性たちのリーダーとして、イスラエルの女性たちと共に偉大な神を褒めたたえました。(出エジプト記15章20節21節)ミリヤムもモーセの姉と言うことで、人々から尊敬を受け、神様にも用いられたのです。
そして、次にミリヤムが登場するのが、民数記12章の出来事です。1節「そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。」とあります。この個所は、ただ単にモーセの姉ミリヤムがモーセの結婚について非難したというだけではなく、モーセが自分の弟であるにも関わらず、イスラエルの民のリーダーとなっていることを非難したということです。それゆえ、神様はミリヤムとアロンを呼び出し、神様が誰を選びイスラエルのリーダーとしたかをはっきりと告げ知らされたのです。兄や姉にとって、弟は何時まで経っても年下で、自分の方が上という意識を持っています。特にミリヤムは幼い時に、ナイル川に置かれたモーセを助けたという思いがあったでしょう。それなのに、ここまで、神様はモーセを通して、イスラエルの民を助け導いて来ました。ミリヤムは姉として自分の方が年上であるし、能力があると思っていました。ミリヤムは自分が弟モーセの下になることに納得がいかなかったのです。それゆえ、モーセを非難し、自分の方が上だと、自己主張したのです。神様はそんなミリヤムにらい病に犯されるという罰を与えました。ミリヤムがらい病に冒されたのを見たアロンは、急いで、モーセにとりなしの祈りを願いました。モーセは彼女のために祈りましたが、神様はミリヤムを七日間、宿営の外に締め出すように命じました。ミリヤムはらい病が治るまで、七日間、宿営の外で暮らさなければなりませんでした。
家族の中で、上下関係があり、それぞれの役割があります。長男長女は、年長者として、家を守り、後継ぎになることを求められます。私は、次男ですから、父や母の老後のことなど考えたこともありませんでした。兄は、自分が長男だから、父と母の老後は自分が面倒を見なければならないと考えていたようです。そのように、兄は長男の責任として、父と母の老後の生活を助け、最後の葬式に至るまで、すべての責任を負いました。姉は、兄と私の間に挟まれ、性格の強い女性として成長しました。一般に三人兄弟の真ん中は自己主張が強くなると言われています。兄弟の間にいるわけですから、自らを主張しないと埋没してしまうからかもしれません。特に、私の姉は、男と男の間ですから、遠慮をしていれば、食べる物も少なくなってしまいます。そのために、自然と自己主張が強かったように思います。男に負けていない勝気な性格でした。結婚してからも、性格は変わらず、特に自分の子、長女も姉に似て勝気で、親子でよくケンカをしたそうです。時には手を挙げたとも言っていました。また、そんな自分が嫌で、神様を求め、クリスチャンとなりました。姉は、クリスチャンになってから変わりました。忍耐ができるようになり、また、謙遜になり、夫に仕えるようになりました。それは、クリスチャンではない父が見ても驚くほどでした。教会でも。目立たない奉仕を熱心にしています。何が彼女を変えたのでしょうか。それは、神様の愛だと思います。
ミリヤムは優秀な女性だったのでしょう。その分、プライドが高く、弟モーセの下で仕えることができませんでした。そのため、モーセの上に立とうとして、らい病と言う神様からの罰を受けなければなりませんでした。民数記12章3節に「モーセと言う人は、地上の誰にもまさって非常に謙遜であった。」とあります。モーセはミリヤムのために神様にとりなしの祈りをしています。神様が私たちに求める性格は「謙遜」です。私たちは人の前にも、神様の前にも謙遜な者でありたいと思います。ペテロの手紙第一5章5節「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」