ユダヤ人の救いと異邦人の救い

マタイの福音書2章1節~15節

神は、六日間で天地を創造され、最初の人アダムをエデンの園に住まわせました。その世界は完全で罪も死もありませんでした。神はアダムに一つだけ戒めを与えました。それは、創世記2章16節17節「神である主は人に命じられた。『あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』」アダムとエバは、神の戒めを守らずヘビ(悪魔)にそそのかされ、善悪に知識の木から取ってたべてしまいました。しかし、二人はすぐに死ぬことはありませんでしたが、神によってエデンの園から追い出されてしまいました。その後、人の悪が増大し、神はこの地上を洪水で滅ぼすことを決心しました。しかし、ノアだけは正しい人で、神はノアに箱舟を造るように命じました。ノアの家族8人は協力して箱舟を造りました。箱舟が出来ると雨が降り洪水となり、箱舟に入ったノアの家族と動物たち以外は洪水で滅ぼされてしまいました。神はノアの家族からこの地上をもう一度やり直そうとされたのです。そして、選ばれたのがアブラハムです。アブラハムは神と共に歩み、神の祝福を受ける者となりました。そして、神はアブラハムとまた、その子孫と特別な契約を結びました。そして、アブラハムの子孫ユダヤ人は神に選ばれた特別な民となったのです。

 マタイの福音書1章21節「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」とあります。ここで言われている

「ご自分の民」とは、ユダヤ人を指すことばです。しかし、それはユダヤ人だけを救うという意味ではありません。ユダヤ人を通して、全ての人が救われるためでした。しかし、彼らは救い主を拒みました。ヨハネの福音書1章11節「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」とあります。救い主イエス・キリストがユダヤ人としてベツレヘムで生まれたことはユダヤ人に対する神の恵みでした。しかし、祭司たちも、律法学者たちも幼子イエス・キリストの誕生を喜びませんでした。それゆえ、神は東方の博士たち異邦人に働きかけ、貧しい羊飼いたちに救い主の誕生を知らせたのです。

マタイの福音書2章に登場する博士たちがどこから来たのか、聖書には書かれていないので正確に知ることは出来ません。ただ、旧約聖書には、イスラエルの国が滅ぼされた時、多くのユダヤ人たちがバビロニアに奴隷として連れて行かれたことが記されています。(バビロニアは現在のイラク南部を指す地域と考えられます。)その関係で、博士たちはバビロニアに住み、イスラエルの歴史について知識を持っていたのではないかと考えられます。また、当時の博士というのは、戦争や地震、天災や作物の出来などを予言する者で、多くは王様に仕え、高い地位が与えられていました。その彼らが不思議な星を発見し、それが新しい王の誕生であることを知り、星に導かれてエルサレムまでやって来たのです。彼らは王を代表する使いですから、ヘロデ王も彼らを丁重に迎えたものと考えられます。

ヘロデ王はユダヤ人ではなくイドマヤ人(エドム人)人です。彼はローマ政府に取り入り、ユダヤを治めるように任命された王様です。それゆえ、不安定な立場でした。彼は猜疑心が強く、身内さえも殺す残忍な男でした。そんな彼の所に東方から使者が来て、2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」と知らされたので、ヘロデ王は恐れおののいた事でしょう。彼は自分の敵の誕生に恐れ、幼子を見つけ出して殺さなければならないと強く決心しました。そこで、彼は、祭司長や律法学者たちを集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただしたのです。彼らは旧約聖書のミカ書を通して、「ユダの地、ベツレヘム」にキリストが生まれることをヘロデ王に知らせました。ヘロデ王は博士たちを送り出す時に、星が現れた時期を聞き、また、幼子を見つけたら自分も幼子を拝むから知らせてほしいと伝え彼らを送り出しました。

 博士たちは星に導かれて、幼子のいる場所を見つけました。11節「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」とあります。12節「彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないように警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。」とあります。さらに神は主の使いをヨセフに遣わし言いました。13節「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、わたしが知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を探し出して殺そうとしています。」彼らは夜のうちにエジプトに逃れました。また、ヘロデは博士たちに騙されたと知るとベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺しにさせたとあります。ヨセフたちはエジプトで暮らし、その後ヘロデ王が亡くなると、ガリラヤ地方のナザレという町で暮らしました。

救いは、神から強制的に与えられるものではなく、神からのプレゼントです。それゆえ、そのプレゼントを受け取るか受け取らないかは、私たちが決めることです。祭司長や律法学者たちは、豊かな生活に満足し、救い主を必要とはしませんでした。それゆえ、せっかく旧約聖書のミカ書を通して、救い主がベツレヘムで生まれることを知っていても、捜しに行きませんでした。私たちはどうでしょうか。現在の生活に満足している人には、イエスの誕生は二千年前の出来事でしかありません。しかし、自分の罪が分かり、イエス・キリストを通して天の御国に入ることを願う人には喜びの出来事です。なぜなら、神はイエスを神の子、救い主と告白する者は、イエス・キリストによって罪が赦され天の御国に招かれると約束してくださったからです。神は約束してくださったことを必ず守られるお方です。今日、イエスによる救いが皆さんに与えられます。皆さんは神からのプレゼントをどうしますか。喜んで受け取りますか、または、祭司長や律法学者たちのように、現在の暮らしに満足し、神からのプレゼント、イエス・キリストを必要としない者でしょうか。