ルツ、ナオミ、ハンナの決断

ルツ記1章5節~18節

災いや災難というものは、突然に訪れ、家族を崩壊させることもあります。私たちはそのような状態になった時、どのようにその苦難を乗り越えればよいでしょうか。ルツ、ナオミ、ハンナの信仰を通して、それぞれの決断から学びます。

1、ルツとハンナの決断

ルツ記とサムエル記の前半は、士師記の終わりの時代と重なっています。その時代、人々の信仰は失われ、「それぞれが自分の目に良いと見えることをおこなっていた」と記されているように、自分勝手な生き方が横行していました。そんな時代に、エリメレクとナオミ夫妻は、飢饉のために二人の息子を連れて、ベツレヘムから隣の国モアブに移住しました。しばらくして、夫のエリメレクは亡くなり、ナオミは一人で二人の息子を育てることになりました。その後、二人の息子は成長し、それぞれ、モアブの女性と結婚しました。ナオミはどれほど安心し、幸いに思ったことでしょう。しかし、その幸いも長く続くことはありませんでした。その後、ナオミは二人の息子をも失ってしまいました。夫を亡くし、二人の息子を失ったナオミは悲しみの中、生まれ故郷のベツレヘムに一人で帰る決心をしました。また、ベツレヘムに帰っても苦労することが分かっていたので、二人の嫁には、モアブの男性と再婚して幸せになってほしいと思いで、ナオミは一人で国に帰ることを決断したのです。ナオミはなぜ、国に帰る決心をしたのでしょうか。夫を失い、二人の息子を失ったナオミには、すべてを失ったという気持ちが強かったと思います。しかし、彼女は、エルサレムが、再び神の祝福を受けていることを知り、もう一度、神のもとに帰りたいという、彼女の信仰による決断があったものと考えられます。

ナオミから別れを告げられた二人の嫁のうち、ルツは、ナオミと共にベツレヘムに住むことを願いました。彼女にとって、ベツレヘムでナオミと暮らすよりも、モアブで他の男性と再婚するほうが生活は楽です。しかし、彼女は、ベツレヘムでの困難な生活を選んだのです。

彼女はなぜ、困難な生活を選んだのでしょうか。ルツはナオミに言いました。16節「お母様を捨てて、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まわれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」17節「あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られたいのです。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったなら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」ナオミとルツは10年共に住んだとあります。ルツはこの10年の間に、ナオミから信仰の影響を受けていたのではないでしょうか。それゆえ、ルツは、モアブの神々ではなく、ナオミの信じるイスラエルの神を自分の神とすることを決断したのです。

二人がベツレヘムに帰ると、町が騒ぎ始めたとあります。女たちは「まあ、ナオミではありませんか。」と言いました。ナオミは彼女たちに言いました。1章20節「私をナオミ(快い)と呼ばないで、マラ(苦しむ)と呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから。」それほど、ナオミの苦しみは深いものでした。

しかし、神は、神のもとに帰って来た二人の女性を見捨てることはありませんでした。神は二人のために、ボアズという男性を準備していたのです。ボアズはルツと出会い、好意を持ちました。それを聞いたナオミは、ボアズが、自分の親戚であることを知り、神の導きを感じました。ナオミは、ルツに夜、ボアズの所に行くように勧めました。ボアズは夜中にルツが自分の足元に寝ているのを知り、彼女の気持ちを知りました。彼も神の導きを感じて、ルツを妻として受け入れることを決心したのです。その後、二人に男の子が生まれました。その子はオベデと名付けられ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデが生まれたのです。また、新約聖書のマタイの福音書のイエスの系図に、モアブの女性ルツの名が記されたのです。ナオミは、夫と二人の息子を失うという苦しみを受けました。彼女は、イスラエルの神を恨み、モアブの神々を信じるという選択肢もあったと思います。しかし、彼女はそのような苦しみの中で、イスラエルの神のもとに帰る決断をしました。ルツも、モアブに残り、モアブの男性と再婚するという道もありましたが、彼女は、ナオミの信じるイスラエルの神を自分の神とすることを決断したのです。

2、預言者サムエルの母ハンナ

当時、イスラエルの国は、一夫多妻の社会でした。特に、奥さんが子供を産めない女性であるならば、子孫を残すために、別の女性を妻とすることは普通のことでした。しかし、その場合、子を産めない女性は社会的にも蔑まれる存在でした。サムエル記の最初に登場するハンナはそのような虐げられた女性でした。夫のエルカナはハンナを愛していましたが、彼女が子を産めないためにもう一人の妻ペニンナをも妻としていました。そして、ペニンナは子が生まれたため、彼女は子を産めないハンナを苦しめたとあります。ここで、ハンナは夫に頼んでペニンナを追い出すこともできたでしょう。しかし、彼女はこの苦しみを神のもとに訴えたのです。ハンナは神に祈りました。11節「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子をくださるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そして、その子の頭にかみそりをあてません。」

ハンナ生まれた子を神に仕える者として、神にささげることを約束したのです。神は彼女の祈りを聞かれ、彼女は男の子を産み、その子はサムエルと名付けられました。そして、ハンナは約束通り、サムエルを祭司エリに差し出したのです。その後、彼女は三人の息子と二人の娘を産んだとあります。後に、祭司エリに預けられたサムエルは成長し、イスラエルの国の信仰を立て直す大きな働き人となりました。

ハンナは、夫に頼んでペニンナを追い出すことをせず、神に子を与えてくださいと祈りました。私たちは問題があると、自分の知恵や力に頼って解決しようとします。しかし、それによってさらに問題を大きくしてしまうことがあります。もし、ハンナが夫に頼んでペニンナを追い出したとしたら、その家庭はどうなっていたでしょうか。彼女は幸せになれたでしょうか。ここに、彼女の忍耐と信仰を学びます。信仰とは、神に信頼することです。神は万事を益に変えて下さるとあります。神の愛は、どんなに苦しみが深く、長くても、それに耐える力を与えてくださいます。また、神の愛は、どんなに暗闇の中でも、希望の光を失うことはないのです。