列王記第一11章26節~40節
イスラエル民族はアブラハムから始まりました。創世記の後半は、アブラハムとその家族、また、その子孫について書かれています。それを「族長時代」と呼びます。初めに、アブラハムとサラによってイサクが生まれました。そして、イサクとリベカによってエサウとヤコブが生まれました。ヤコブは兄エサウの長子の権利を奪い、兄に憎まれ、叔父のラバンのもとに身を寄せました。そこでヤコブはレアとラケルと結婚し12人の男の子を得ました。この12人が後にエジプトで増え広がりイスラエルの12部族となりました。エジプトの王はイスラエルの民を恐れ彼らを迫害しました。イスラエルの民が神に助けを求めると、神はモーセを誕生させ、彼によって男性だけで60万人のイスラエルの民をエジプトから助け出しました。そして、イスラエルの民はアブラハムに約束された土地カナンを目指し旅立ちました。しかし、彼らの不信仰のゆえに、イスラエルの民は40年の間荒野をさまよい歩くことになりました。その後、ヨシュアによってカナンの地を征服し、士師の時代が始まりました。しかし、その国は安定することなく、預言者サムエルによって国は安定しました。しかし、それでもイスラエルの民は周りの国と同じように王を求めました。そして誕生したのがサウル王です。しかし、彼が神を退けたので、神も彼を退け、ダビデ王が誕生しました。ダビデ王によって国は安定し繁栄しました。そして、ソロモン王によってさらに国は繁栄し神殿や宮殿が建築されました。しかし、ソロモンの晩年、彼も神から離れ、国中に偶像礼拝が広まりました。神は彼に偶像礼拝から離れるように警告しましたが、ソロモンは聞く耳を持たず、神はイスラエルの国を北と南に分裂させることを決心されたのです。
1、北イスラエルの王ヤロブアム
列王記第一11章26節「ツェレダ出身のエフライム人、ネバテの子ヤロブアムはソロモンの家来であった。彼の母の名はツェルアといい、やもめであった。ところが彼も王に反逆した。」とあります。28節「ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた。」とあります。ヤロブアムは母子家庭で育てられ、暮らしは貧しかったものと想像できます。しかし、彼はまじめに働き、また、有能であるがゆえにソロモン王に認められ、ヨセフの家の管理を任されるようになったのです。ヨセフの家とは、マナセとエフライムの部族を表し、12部族の中でも大きな部族に属します。ヤロブアムがなぜ、ソロモン王に反逆し、後に北イスラエルの10部族の王に選ばれたのかは、28節~40節に記されています。短くまとめると、神はヤロブアムのもとに預言者アヒヤを遣わしました。アヒヤは新しい外套を十二切れに引き裂き、ヤロブアムに十切れ取りなさいと言いました。そして彼に言いました。31節「イスラエルの神、主はこう言われる。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。』」38節「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える。」この後、ソロモンの子レハブアムの間違った選択によって、イスラエルの10部族は、レハブアム王を退け、神のことばの通り、ヤロブアムを自分たちの王としたのです。ヤロブアムは北イスラエルの10部族の王となりましたが、大きな問題を抱えていました。それは、神殿が南ユダ王国にあり、人々が神を礼拝するために南ユダ王国に宮詣に行くことでした。彼はそのことで、いずれ自分の王位も奪われてしまうのではないかと恐れを抱いたのです。そこで、彼はベテルとダンに金の子牛の祭壇を築き民に拝ませました。列王記第一12章27節「この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、彼らは、私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」28節「そこで王は相談して金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。』」さらに彼はレビ人ではない祭司を任命し、また自分勝手に祭りの日を定めたとあります。せっかく、神に選ばれ北イスラエル10部族の王に任命されたのに、一番やってはいけないことを行ってしまいました。神は彼のために預言者を遣わし、悔い改めを求めますが、ヤロブアムはそれも拒否しました。ヤロブアムは亡くなり、彼の子ナダブが王に就任しました。しかし、彼は二年後にバアシャの謀反によって殺され、ヤロブアムの支配は長く続くことはありませんでした。
2、南ユダの王レハブアム
ソロモン王は偉大な王で、神殿や王宮などを造りました。しかし、そのためにイスラエルの民は苦役に苦しみ、不満を持つ者が多く現れました。ソロモンは死に、その子レハブアムが王に就任しました。レハブアムはヤロブアムとは違いぜいたくな環境の下で育てられました。王に就任したレハブアムにイスラエルの民は、苦役を軽くするように願い出ました。列王記第一12章4節「あなたの父上は、私たちのくびきを重くしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えます。」王は三日目に戻ってくるように命じました。レハブアム王ははじめに父ソロモンに仕えていた長老たちに相談しました。7節「彼らは王に答えた。『今日、もしあなたがこの民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えて親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、あなたのしもべとなるでしょう。』」それだけではなく、彼は自分とともに育ち自分に仕えている若者にも相談しました。10節11節「彼とともに育った若者たちは答えた。『あなたの父上は私たちのくびきを重くしました。けれども、あなたはそれを軽くしてください』と言ってきたこの民には、こう答えたらよいでしょう。彼らにこう言いなさい。『私の小指は父の腰より太い。私の父がおまえたちに重いくびきを負わせたのであれば、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのであれば、私はサソリでおまえたちを懲らしめる』と。」レハブアム王は国の状況も知らず、若者たちの意見に従い、民の反発を受けてしまいました。北イスラエルの10部族はレハブアム王を退けて、ヤロブアムを王としたのです。そこで、レハブアムは北の10部族と戦いに出かけようとしましたが、神の人シェマヤの忠告に従い、戦をすることなく国に引き返しました。しかし、レハブアム王も後に偶像礼拝を始め、エジプトに責められ多くの財産を奪われてしまいました。
ここまで対照的な二人の王について見てきました。北イスラエルの10部族の王に選ばれたヤロブアムは母子家庭で育てられた苦労人で、有能な人物でした。しかし、彼には神に従う信仰はなく、自分の心配な問題を解決するために、自分の知恵に頼り、金の子牛を造らせ、民に偶像の神々に仕えさせてしまいました。そこに有能な人の落とし穴があります。有能で知恵のある人は、自分の知恵に頼る傾向があります。彼が、自分の知恵に頼らず、自分を選んでくださった神に頼るならば、彼のその後の人生は変わったものになっていたのでしょう。私たちも目に見えない神より、目に見える富や権力に頼りやすい者です。ここで、私たちはもう一度、聖書のことばに立ち返って、何に頼ることが一番良いことなのかを学びたいとおもいます。箴言3章5節6節「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」