創世記45章1節~9節
アブラハムの家族を通して信仰の歩みについて学んできました。今日は、ヨセフの人生を通して「赦しと和解」について学びます。
1、ヨセフの家族関係
ヤコブは兄エサウの怒りから逃れるために叔父のラバンの許に身を寄せました。ヤコブはそこでラバンの娘ラケルと出会い彼女を好きになりました。ヤコブは彼女と結婚するために、ラバンの下で7年間働きました。ヤコブを手放したくない叔父のラバンは、結婚式の夜、ヤコブの部屋に姉のレアを送りました。さらに、ラバンは姉のレアより先に妹ラケルを嫁がせることはできないと言い、ラケルと結婚たければレアとも結婚し、さらに7年間働くように要求したのです。ヤコブは仕方なく、レアとラケルの二人を妻に迎えました。また、レアは子を四人も生みましたが、ラケルは子を産むことが出来ませんでした。そこで、ラケルは自分の女奴隷をヤコブの妻に差し出し、彼女によって子を得ました。レアも自分の女奴隷をヤコブに差し出し子を得ました。そのため、ヤコブは四人の妻を持ち、その四人によって多くの子を得ました。当時は、一夫多妻が許される社会でした。四人の妻がおり、それぞれ母親の違う子供たちが一緒に暮らしていました。そのような複雑な関係の中で、ヨセフは育てられました。特に、ヤコブはラケルを愛し、彼女の子ヨセフを愛し特別扱いしました。それを見た他の兄弟たちはヨセフをねたみました。ヨセフにとっては最悪の家庭環境でした。また、ヨセフは夢を解き明かす特別な賜物があり、家族が自分を拝む夢を見て、兄弟たちにそれを話したため、益々兄弟から憎しみを受けてしまいました。
2、試練の中のヨセフ
兄弟たちは羊の群れを世話するためシェケムに出かけていました。父ヤコブは兄弟たちの様子を知るために、ヨセフを兄たちの許に使いに出しました。ところが、先にヨセフを見つけた兄弟たちは、ヨセフを殺し獣に襲われたと父に告げようと話し合ったのです。この時、長男のルベンはヨセフをかばい彼を助けるように提案しました。ところが、ルベンがいない間に、ユダを中心に他の兄弟たちは、ヨセフをエジプトに行く商人に奴隷として売ってしまいました。ヨセフは兄弟たちのねたみによって、エジプトに奴隷として売られてしまったのです。ヨセフはこの時十七歳でした。彼はどれほど兄弟たちを憎んだことでしょう。
ヨセフはその後、エジプトの王ファラオの廷臣で侍従長のポティファルに売られました。それでも神はヨセフと共におられ、ヨセフは主人に信用され、全財産を任せられる者なりました。しかし、主人の妻はヨセフに目を付け彼を誘惑しました。ヨセフが主人の妻から逃れる時、慌てて上着を残して逃れました。彼女はその上着を証拠として、ヨセフが自分に悪さをしようとしたと主人に訴えたのです。主人はヨセフを怒り、彼を牢獄に入れてしまいました。ヨセフは何も悪いことはしていないのに、牢獄に入れられてしまったのです。普通なら、主人や主人の妻を恨み、社会を恨むところですが、ヨセフは監獄でも監獄の長に認められる働きをしました。聖書は監獄の中でも主は共におられたと記しています。
ヨセフはここで、王に投獄された献酌官と料理官に出会いました。ある夜二人は不思議な夢を見ました。ヨセフはそれを聞いて二人の夢の意味を解き明かしました、ヨセフのことば通り、三日目に献酌官は元の職に戻され、料理官は殺されてしまいました。ヨセフは献酌官に私の事を覚え、ファラオに私の事を話してここから助け出してくださいと彼にお願いしました。しかし、この献酌官はヨセフの事を忘れてしまったとあります。それから二年後ファラオも不思議な夢を見ました。彼は心落ち着かず、この夢の意味を解き明かすことが出来る者を探させました。そこで、はじめて献酌官はヨセフの事を思い出し、彼をファラオの前に連れ出したのです。ファラオが見た夢は、七年間の豊作と七年間の飢饉が起こるという預言的な夢でした。ヨセフはそのファラオの夢を解き明かし、七年間の飢饉のために、食物を蓄えるように王に進言しました。王はヨセフの知恵に驚き、彼をエジプトの王の次の位に任命したのです。この時ヨセフは三十歳であったと記されています。ここまでヨセフの人生を見てきました。十七歳から三十歳までの十三年間、ヨセフは奴隷から監獄に入れられるという辛い生活でした。しかし、神はヨセフと共におられ、彼は一夜にして王の次の位に任命されたのです。
3、兄弟との和解
ヨセフの預言通り、七年間の豊作の後、飢饉が訪れました。ヤコブの家族たちはこの飢饉のために、食べ物を求めてエジプトに来ました。兄弟たちはエジプトで高い地位に就いたヨセフを見ても彼だとは気づきませんでした。しかし、ヨセフは兄弟たちに気づきました。ヨセフは自分と同じくラケルを母とする兄弟であるベニヤミンと会いたいがゆえに、シメオンを人質にし、ベニヤミンを連れてくるように強く命じて、彼らをヤコブの家に帰しました。父ヤコブはエジプトでのことを聞きましたが、ヨセフを失ったうえにベニヤミンをも失うことを恐れ、ベニヤミンをエジプトに行かせようとはしませんでした。しかし、食物も尽きて、エジプトに行かなければならなくなりました。ここで、ユダが保証人になることを父に誓い、彼らはベニヤミンを連れてエジプトに向かったのです。ヨセフはベニヤミンを見て喜びましたが、自分がヨセフであることを兄弟たちには明かしませんでした。ヨセフは兄弟たちのために宴会を設けて彼らを送り出しました。しかし、ここでヨセフはベニヤミンの袋の中に銀の杯をしのばせたのです。後になって、ヨセフは兄弟たちを追いかけさせ、誰かが銀の杯を盗んだと言いがかりをつけました。そしてその者(ベニヤミン)を置いて帰るように命じたのです。ここで、ユダは父の事を覚え、ベニヤミンを返し、身代わりに自分を捕らえるように申し出たのです。ヨセフは自分の事よりも父やベニヤミンを大切に思うユダの気持ちに感動し、自分が弟のヨセフであることを兄弟たちに明かしたのです。兄弟たちは驚きました。ここでヨセフは兄弟たちに言いました。創世記45章4節~8節「ヨセフは兄弟たちに言った。『どうか私に近寄ってください。』彼らが近寄ると、ヨセフは言った。『私は、あなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を、ファラオには父とし、その全家には主人として、またエジプト全土の統治者とされました。』」ヨセフは自分が奴隷としてエジプトに売られたのは、兄弟たちの悪意ある計画ではなく、全てを支配しておられる神の計画であると兄弟たちに告げたのです。
4,神の赦し
自分に危害を加えた者を赦すという事は、人間の力では出来ないことです。マタイの福音書18章21節「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。』」22節「イエスは言われた。『わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。』」七回を七十倍するまでとは、回数の問題ではなく、何度でも赦しなさいという意味です。そして、イエスは王に一万タラントの借金を赦された者のたとえ話を話されました。(23節~35節)このたとえ話は、王の憐れみによって一万タラント(約6千億円相当の借金)が赦された人が、百デナリ(約百万円)の借金のある男を赦すことが出来ず彼を牢に放り込みました。これを聞いた主君は怒って彼が負債をすべて返すまで獄吏たちに引き渡したというお話です。イエスは言われました。35節「あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」イエス・キリストは私たちの罪を赦すために十字架の上でいのちを犠牲にされました。私たちは、このイエス・キリストの尊いいのちの代価によって、罪赦された者になりました。私たちは神の前にどれほどの罪が赦された者でしょうか。それなのに兄弟の罪を赦さないのは、神を悲しませる事です。また人を憎んで生きることは、神に喜ばれる人生ではありません。人を赦すということは、その人の罪を見ないで、神を仰ぎ見ることです。その時、初めて人を赦すことが出来るのです。ヨセフは、兄弟たちの悪を見ないで、神の恵みの計画を見ました。それゆえ、ヨセフは兄弟たちを赦すことが出来たのです。