力の賜物を与えられたサムソン

士師記16章28節~31節

サムソンは十二人の士師の中で最後に登場する士師です。彼の特徴は、神より人間の力を超えた怪力を与えられたことです。サムソンはその怪力により二十年間イスラエルをさばきました。

1、サムソンの誕生(士師記13章)

イスラエルの子らは、主の目に悪であることを重ねて行ったとあります。そこで主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡されました。その様な状況の中で、神はダン部族のマノアという夫婦を選ばれました。彼の妻は不妊の女性でした。その彼女に主の使いが現れ、あなたは身ごもって男の子を生むと言われました。そして、このように言われました。4節5節「今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたは身ごもって男の子を生む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」サムソンは体内にいるときからナジル人として聖別された者でした。ナジル人とは、モーセの時代から神に特別にささげられた者のことを言います。ナジル人になるためには特別な規則を守らなければなりませんでした。それが、1,ぶどう酒や強い酒を飲まないこと。2,汚れた物を食べないこと、死体に触れて汚れを受けないこと。3,髪の毛を切らないことが定められていました。

2.ペリシテ人と戦うサムソン(士師記14章)

サムソンは成人し、ペリシテの女性を愛し、彼女と結婚したいと両親に申し出ました。両親は、ペリシテの女性との結婚を反対しますが、彼は強引に彼女との結婚を進めました。そして、サムソンは祝宴の場で、ペリシテ人たちとなぞかけをしました。しかし、彼らはその答えがわからず、花嫁を脅して、サムソンのなぞかけの答えを聞き出させ、サムソンに答えを告げました。サムソンは花嫁を脅して彼らが答えを得たことに激怒し、彼らに約束の物を与えると、怒りに燃えて父の家に帰ってしまいました。花嫁の父はサムソンが怒って帰ったことで、娘を嫌ったと思い、その娘を他の男性に嫁として与えてしまいました。しばらくして、サムソンは花嫁を迎えに来ましたが、すでに、その女性はほかの男性に嫁いだことを知り、サムソンは怒って、ジャッカル三百匹を捕らえ、尾と尾を結んでその間にたいまつをくくりつけて、火をつけ、ペリシテ人たちの畑を焼き払ってしまいました。怒ったペリシテ人たちは、ユダの人々を攻めてサムソンを引き出すように要求したのです。ペリシテ人の前に引き出されたサムソンは大暴れし、ロバのあご骨でペリシテ人千人を一人で殺したとあります。

3、サムソンとデリラ(士師記16章)

今度、サムソンはデリラという女性を愛しました。ペリシテ人たちは、彼女にどうすればサムソンを捕らえることができるかを聞き出したならば、銀千百枚を与えると約束をしました。彼女は彼を口説いて、彼の力の原因がどこにあるのかを聞き出そうとしましたが、彼は、なかなか本当のことを彼女には明かしませんでした。しかし、彼女がしきりに、彼にせまったため、彼は本当のことを彼女に話してしまいました。彼女は彼の秘密を知り、髪をそるならば力がなくなることをペリシテ人たちに伝えました。髪をそられたサムソンは力を失い、ペリシテ人たちに簡単に捕らえられてしまいました。

4、悔い改めるサムソン(士師記16章21節~31節)

捕らえられたサムソンは両目をえぐられ、牢でうすを引かされていました。ある日、ペリシテの領主たちは、サムソンを笑い者にするために、ダゴンの神殿に彼を呼び出しました。そこには三千人が集まっていました。ソロモンの髪の毛は再び伸び始めていました。サムソンはこの時、主に祈りました。28節「神、主よ。どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人復讐したいのです。」ここでサムソンは、天井を支えている二本の柱を両手に抱えて、引き倒すことによって、神殿を崩壊させ、自分とペリシテ人三千人を建物の下敷きにして殺してしまったのです。

5、結論

私たちは、サムソンの生涯を通して何を学ぶことができるでしょうか。はたして、サムソンの死は神に喜ばれる死に方だったのでしょうか。サムソンはナジル人として生まれましたが、それにふさわしい生き方をしたのでしょうか。サムソンは神によって特別に生まれ、怪力という賜物(力)が与えられました。彼は、それを正しく用いたのでしょうか。イエスのたとえ話にタラントのたとえ話があります。(マタイの福音書25章14節~30節)この話で、主人は能力に応じて一人には五タラント、もう一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけました。しばらくして、主人が帰って来たとき、五タラント預かった者はさらに五タラント儲けて、主人にそれを差し出しました。二タラント預かった者も二タラント儲けてそれを差し出しました。主人は二人を喜びました。ところが、一タラント預かった者は、それを地に隠して増やす努力を怠り、預かった一タラントだけを差し出しました。主人はこのしもべが、タラントを増やすことを怠ったことを怒り、外の暗闇に追い出してしまいました。このたとえ話の大切なところは、主人から預かったタラントをどのようにして用いたかが大切なポイントです。五タラント預かった者、二タラント預かった者は、そのタラントを用いてタラントを増やしました。しかし、一タラント預かった者は、減らすことを恐れて、地に隠してしまいました。確かに、彼は預かったタラントを減らしはしませんでしたが、明らかに、主人がしもべにタラントを預けた意味を理解していませんでした。主人は何のために、彼らにタラントを預けたのでしょうか。それは、彼らがそれを用いて商売をさせるためでした。一タラント預かったしもべは、それを理解できずに、地に隠して、用いなかったことを叱られたのです。ここで言われている、タラントは私たちひとりひとりに与えられている賜物(才能)を意味しています。神は私たちを祝福し賜物を与えてくださいました。その賜物とは、教会の徳を高めるために与えられていると聖書に記されています。では、私たちはその賜物を教会のために用いているでしょうか。サムソンは、せっかく神から与えられた「怪力」という賜物を正しく用いることができませんでした。サムソンの死はその結果、自分に招いてしまった死でした。そもそも、私たちは自分にどのような賜物が与えられているか理解しているでしょうか。賜物とは、神から与えられた特別な能力のことです。聖書は、異言の賜物や癒しの賜物などがありますが、それ以外にも、教える賜物や讃美の賜物なども考えられます。神は、私たちが喜んで神に仕えるために賜物を与えてくださいました。それゆえ、私たちが喜んで神に仕える奉仕が賜物ということができます。神は、教会の徳を高めるために賜物を与えてくださいました。私たちはその与えられた賜物を正しく用いているでしょうか。サムソンのように自分のために用いていないでしょうか。また、一タラント預かったしもべのように、せっかく与えられた賜物を隠して、無駄にしていないでしょうか。サムソンの生涯を通してそのようなことを考えさせられました。