2017年1月1日元旦礼拝
「失敗をも恵みに変える神」ルカの福音書22章31節~34節
2017年新しい一年が始まりました。昨年は、地震やテロなど暗いニュースが多い一年でした。今年はどうなるのかと不安に思う方が多いかと思います。しかし、ヨハネの福音書1章5節に「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」とあります。世界を見ると闇に覆われた世界のようにみえますが、聖書の中に光があります。そして、やみは光に打ち勝たなかったとは、たとえ、闇の中にあっても、イエス様を信じる者は闇に負けることはないという意味です。イスラエルの王の中で一番悪い王様はアハブという王様です。アハブはシドン人の王の娘イゼベルと結婚し、イスラエルの国にバアルの神を持ち込み、イスラエルの民にバアルの神を礼拝するように強制しました。そんな暗黒の時代に登場したのが、預言者エリヤでした。エリヤは一人で、バアルの預言者450人、アシェラの預言者400人と、どの神が本当の神か対決をしました。バアルの預言者、アシェラの預言者が自分たちの神に祈りましたが何も起こりませんでした。しかし、エリヤが神に呼ばわると、神は天から火を下し、エリヤの祭壇の捧げ物を一瞬に焼き尽くしたのです。イスラエルの民は驚き、イスラエルの神を信じ、バアルの預言者とアシェラの預言者を滅ぼしたという出来事がありました。イスラエルの国が一番暗い闇に覆われた時代、一番偉大な預言者エリヤが活躍したのです。
今年は、皆さんに何か新しいことに挑戦していただきたいと思います。しかし、いつも思うことですが、新しいことにチャレンジしようとすると、いつも頭をよぎるのが、失敗したらどうしようという思いです。そして、躊躇してしまい、何も新しいことをすることなく一年が過ぎてしまいます。しかし、失敗を恐れては前に進むことはできません。聖書に登場する人物、アブラハムもモーセもヨシュアも失敗しています。しかし、失敗した彼らを神様は見捨てたでしょうか。神は彼らを助け、立ち直らせてくださいました。今年の年間聖句にローマ人への手紙8章28節のことばを選びました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」この言葉は、パウロがローマの教会に出した手紙の中に書かれたことばです。パウロ自身、イエス・キリストを外国人に伝えるために、多くの苦難に遭いました。しかし、その苦しみの中でも神様は彼を助け、パウロによって多くの外国人がイエス様を救い主と信じたのです。パウロはこの体験があったからこそ、この言葉を通して、ローマの人々を励まそうとしたのです。
一番初めに、ルカの福音書22章31節から34節をお読みしました。この個所は、イエス様が、ペテロに自分のことを(イエス様のこと)を三度、知らないと否定することを預言された個所です。31節を見ると、弟子たちがイエス様を一人残して逃げていくこと、また、ペテロが三度もイエス様との関係を否定することは、サタンの計画(願い)であることが書かれています。また、その願いが聞き届けられたということは、サタンの計画を神様が了承されたということです。神様はなぜ、そのように弟子たちが苦しみに会うことを了承されたのでしょうか。その答えが32節にあります。「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」イエス様はこの時点ですでに、ペテロが立ち直り兄弟たちを力づけることを確信しておられます。それに対してペテロはイエス様に言いました。33節「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと覚悟はできております。」イエス様は彼に言いました。34節「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」ペテロが学ばなければならなかったことは、自分の弱さでした。自分の強さを誇る者は神に頼らず、自分の力に頼ります。自分の知恵、力に頼る者を神様は助けることができないからです。この後、イエス様を否定したペテロに復活されたイエス様が現れ、ペテロに三度、わたしを愛しますかと声をかけてくださいました。このイエス様のことばによってペテロは、立ち直り、自分の弱さを受け入れ、人々を励まし、教会のリーダーとして成長していったのです。
アブラハムが神様に選ばれ、神様のことばに従って親族から離れ、カナンの地を目指したのが75歳の時でした。しかし、そんなアブラハムでしたが、エジプトに入るとき、大きな失敗をしてしまいました。アブラハムは神様に頼らないで、この世の知恵に頼ってしまったのです。アブラハムは、多くの旅人がするように自分の奥さんに妹としてふるまうように命じました。それは、エジプト人が自分の奥さんの美しいのを見て、自分を殺し奥さんが奪われることを恐れたからです。しかし、その作戦は裏目に出ました。エジプトの王の高官がアブラハムの妻の美しいのを見て、王に推薦し、王宮に連れていかれてしまったのです。アブラハムには妻を取り戻す力はありませんでした。アブラハムの妻サラを救ってくださったのは神様でした。神様はエジプトの王を災害で苦しめ、アブラハムに妻を返すように働かれたのです。エジプトの王は神を怖れ、アブラハムの妻サラをアブラハムに返しました。大事なことは次に書かれています。失敗をしたアブラハムは何をしたでしょうか。創世記13章3節4節「彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。そこは、彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。」という個所です。失敗しない人はいません。しかし、失敗をしたら、悔い改めて、神の御前に戻りお祈りすることです。神は決して失敗をした者を捨て去ることはありません。そうであるならば、私たちは失敗を恐れたり、躊躇することはありません。失敗しても神様が助けてくださることを知っているからです。
電動アシスト自転車は電動自転車ではないので、自分でこがなければ前に進みません。自分でペダルを踏み前に進んでいて、坂道に差し掛かると、坂道を上るときに電気が流れペダルに力が加わるように設計されています。坂道を上るときに電気で押してサポートしてくれるのです。神様の働きも同じで、私たちが勇気をもって前に進むとき神様は、私たちの働きを助けてくださいます。たとえ、失敗したとしても、それを益に(恵みに)変えて立ち直らせてくださいます。今年、神様に信頼して一歩、前に踏み出してみませんか。必ず、昨年とは違う、一年になることでしょう。