「心に余裕がありますか」ルカによる福音書10章38節~42節
旧約聖書(創世記~申命記)をモーセが書いたとするなら、旧約聖書は約4千年も前に書かれたことになります。しかし、その出来事は、過去の古い出来事ではなく、今を生きる私たちと同じような問題が取り扱われているのを見ます。それは、時代は進んでも、人間の本質は変わらず、同じような問題を繰り返し、また、同じ問題に苦しんでいるということです。
創世記の4章に「カインとアベル」の出来事があります、神に最初に創られた人アダムとエバの子二人はそれぞれの働きの中から神様にささげ物を持ってきました。しかし、神様はアベルのささげ物に目を留められましたが、カインのささげ物には目を留められませんでした。「それでカインはひどく怒り、顔を伏せた。」とあります。「怒りの問題」カインはなぜ、怒りを持ったのでしょうか。自分のささげ物を神様が無視し、アベルのささげ物に神様が目を留められたからです。「なぜ、弟のささげ物に目を留めて、自分のささげ物は神に受け入れられなかったのか。」カインは、弟アベルに嫉妬し、アベルに負けた悔しさが兄であるカインにありました。兄と弟の葛藤。自分より弟の方が成績が良く、親の期待が弟に向けられるならば、兄として、心を穏やかに保つことは出来ません。弟を妬み、憎しみ、カインと同じように殺意さえいだきます。カインと同じ心を持つ人は、今の時代にもたくさんいます。
ここで、神様は怒るカインにこのように言われました。6節7節「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪はあなたの戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたはそれを治めるべきである。」神様はここで、怒りを持ったカインに対して忠告をしています。「あなたはそれを治めるべきである。」と言われました。私たちはどのようにして、怒りを治めることができるでしょうか。以前、カウンセリングの学びで、怒りについて学びました。その時に、その対策として、(1)その場を離れる。と言うのがあります。冷静になるためにその場を離れる。(2)冷静に考えるために心の中で10数える。または、心を落ち着けるために。5分から10分時間を置く。(3)長くゆっくり深呼吸を数回くりかえす。という方法を学びました。しかし、カインはこの怒りを弟のアベルに向けてしまい、彼を野に連れ出し殺してしまいました。人類、最初の殺人が肉親である兄と弟の間で起きてしまいました。その結果、カインはさらに遠くに神様から退けられてしまいました。
新約聖書においてはマルタとマリヤのお話が有名です。マルタの家は、すでに両親を亡くしていたのか、マルタが主人としてイエス様とその弟子たちを迎え入れ、歓迎の支度が用意されようとしていました。男性たちは食事の支度が整うまで、イエス様の周りに座り、イエス様のお話に耳を傾けていました。その男性たちの集まりの中に、マルタの妹マリヤがイエス様の足もとにすわって、みことばに聞き入っていたとあります。当時の常識からすれば、マリヤの行動は常識からはずれた行動だとおもいます。当時のラビは決して女性と話さなかったと言われています。お客を招いた場合。男性たちはラビの話を聞き、質問を許されていましたが、女性たちは、食事の準備をするというのが当たり前の時代でした。
忙しくイエス様のために食事の準備をするマルタの気持ちはどうだったでしょうか。40節。「ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、」とあります。イエス様のためにあれもこれもと、忙しく立ち働いていました。そんな忙しいマルタの目に留まったのがマリヤの姿でした。マルタはどう思ったでしょうか。「なぜ、私ばっかり働かなければならないの。」「マリヤばっかりどうして、イエス様のそばに座ってお話を聞いているの。」マルタの本心は、自分もイエス様のそばに座って、お話を聞きたいという心があったでしょう。マルタはマリヤに対して、不満と怒りの気持ちを持ちました。その結果、マルタはどのような行動に出たでしょうか。40節「主よ。妹が私にだけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」マルタはこの怒りをイエス様に向けてしまいました。イエス様はマルタに言われました。41節42節「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」イエス様が言われた「一つだけ」とは何のことでしょうか。それは、「イエス様の話に耳を傾けること」です。イエス様の願いは、一人でも多くの人々に神様のお話を伝えることでした。もちろん、接待をすることが悪いと言っているわけではありません。しかし、接待の準備は後でもできることです。イエス様から直接、神様のお話を聞くチャンスはそれほど多くはありません。イエス様にとっては男性でも女性でも一人でも多くの人に神様の話を聞いてほしいわけですから、マリヤからそれを取り上げてはいけませんと言われたのです。
では、マリヤはどのような行動を取ったら良かったのでしょうか。先ほどの怒りの対応について、心の中で10数えるというのがありました。マルタがここで、心を落ち着け10数えるなら、色々な方法が考えられたでしょう。たとえば、そっとマリヤに近づき、耳元で、「ちょっと、忙しいから少し手伝ってくれない。」といえば、マリヤも嫌とは言わないでしょう。そうすればせっかくの雰囲気を壊すこともありませんでした。
私たちも日常の生活の中で、マルタのような心になりやすい者です。堀先生の本に「心の部屋を空けて」という本があります。私たちは、忙しい日々の中で、他人を受け入れる余裕、部屋を準備しているでしょうか。他人のためだけではなく、神様を受け入れる部屋(余裕)はどうでしょうか。忙しい生活の中で、一番にしなければならないことが、神様との時間を大切にすることです。私たちは神様との関係が豊かにされる時、他人に対して、余裕をもって対応することができます。聖書は約四千年前に書かれた書物ですが、私たちが生きるこの時代にも神様の生きたことばです。神様がアブラハムを愛されたように、神は私たちを愛してくださいます。また、ペテロの失敗を優しく赦してくださる神様です。私たちは聖書を通して神様のすばらしさを知ることができます。それゆえ、聖書は世界中で一番読まれている書物なのです。