「悔い改めのバプテスマ」ルカの福音書3章1節~17節
イエス様の生涯を書くにあたって、マタイはイエス様の系図から書きはじめ、イエス様の誕生を記し、バプテスマのヨハネを登場させています。マルコによる福音書はいきなり、バプテスマのヨハネから書き始めています。それに比べ、ルカはいかにも歴史家らしく、バプテスマのヨハネの誕生から書き始め、イエス様の誕生の話と絡めながら話を進め、バプテスマのヨハネを登場させています。しかも、他の福音書よりも多くバプテスマのヨハネについて説明され、当時のユダヤ人たちのバプテスマのヨハネに対する驚きや、反応がより分かりやすく説明されています。ここに、異邦人であるルカが同じ異邦人であるテオピロに対して、イエス様のことをわかりやすく説明しようとしている苦労を見ることができます。
バプテスマのヨハネの誕生は、旧約聖書のアブラハムとサラにイサクが与えられたお話に似ています。アブラハムとサラにイサクが生まれたのは、アブラハム100歳、サラが90歳の時です。二人にとって子を得ることが不可能な時に、神様はイサクを誕生させました。バプテスマのヨハネも、父ザカリヤが高齢で、妻のエリサベツも高齢となり、二人にこどもが生まれるなど不可能な状態でした。ところが祭司ザカリヤに主の使いが現れ、エリサベツが身ごもることを告げたのです。しかし、ザカリヤは主の使いの言葉を信じることができませんでした。それゆえ、ザカリヤは子が生まれるまで、口がきけなくなってしまいました。また、その子はただの子ではなく、救い主の前に、道を整える預言者となることを告げられたのです。益々、ザカリヤは主の使いの言葉を信じることができませんでした。エリサベツが身ごもると、その半年後に御使いはマリヤの前に登場し、処女であるマリヤが男の子を産むという不可能な預言をマリヤに告げました。当然、マリヤは御使いの言葉を信じることができませんでした。ここで、御使いは、エリサベツの話を持ち出し、主にとって不可能なことがないことを告げたのです。また、それを聞いてマリヤは御使いの話を受け入れることができたのです。その後、マリヤは直接、エリサベツを訪問し、自分に起こったことをエリサベツに報告しました。当然、エリサベツは喜んでマリヤを祝福しました。マリヤが処女で子を身ごもったことは誰にも理解されなかったでしょう。しかし、エリサベツだけはマリヤが子を身ごもったのが神様の業であることを理解したのではないでしょうか。マリヤはエリサベツの家に三カ月も滞在したと記されています。
ルカの福音書1章の最後にバプテスマのヨハネが誕生したことが記され、2章においてイエス様の誕生の物語が記され、3章に、突然、荒野でバプテスマのヨハネが登場します。バプテスマのヨハネの誕生から、この荒野での登場の間のバプテスマのヨハネの行動ははっきりとは記録されていません。当時の資料によると、ユダヤ教はパリサイ派とサドカイ派の二つに分かれていました。パリサイ派は、会堂を中心に、律法(旧約聖書)の教えを守るように民衆に教えていました。また、サドカイ派はローマ政府の支持を得て、ぜいたくな生活をしていました。それゆえ、双方仲が悪くいがみ合いの状態でした。この二つのグループに属さないもう一つのグループがありました。それをエッセネ派と呼び、普段は荒野で修道僧のような共同生活をしていました。また、彼らをクムラン宗教団と呼ぶ人もいます。バプテスマのヨハネは、ここで宗教訓練を受け、救い主が登場する時を待っていたのです。
バプテスマのヨハネの教えの偉大さは、ユダヤ人たちに悔い改めを求めたことです。当時、ユダヤ教の宗教指導者は、ユダヤ人はアブラハムの民として特別な存在であり、ユダヤ人には罪が無いと教えていました。そして、異邦人(外国人)がユダヤ教に改宗する時だけ、今までの罪を清めるために洗礼を施していました。バプテスマのヨハネは、異邦人だけではなく、ユダヤ人もすべての人は罪人であり、その罪を認めて悔い改めバプテスマを受けるように人々に呼びかけたのです。それを聞いた、多くのユダヤ人たちは、バプテスマのヨハネのことばを聞いて、心刺され、多くの人々がヨハネからバプテスマを受けようと集まって来ました。この働きはユダヤ国内を巻き込む大きなムーブメントとなり、パリサイ派の人々やサドカイ派の人々を困らせる大きな働きとなったのです。バプテスマのヨハネが生まれる時、御使いはザカリヤにその子はエリヤのような、旧約聖書で約束されたメシヤの前に遣わされる預言者となると言われましたが、まさに、バプテスマのヨハネは、ユダヤ人に悔い改めのバプテスマを授けることによって、主の道を整える預言者の働きとなったのです。
では、イエス様はバプテスマのヨハネをどのように評価されたでしょうか。(1)マタイの福音書9章14節から、バプテスマのヨハネの弟子たちが、イエス様に断食について質問した個所があります。ユダヤ教には、決められた断食の日があり、バプテスマのヨハネ達もその断食の日を守っていましたが、イエス様の弟子たちはその断食の日を守っていませんでした。しかし、それも、イエス様が取られる、天に召された後は弟子たちも断食をすることを教えています。そして、イエス様はバプテスマのヨハネの教えについて、16節と17節で二つのたとえ話をしています。一つは、「真新しい布切れで古い着物に継ぎをするようなことはしません。」もう一つは「人は新しいぶどう酒を古い革袋に入れるようなことはしません。」とあります。このたとえ話は同じことを教えています。結局バプテスマのヨハネの教えは、ユダヤ教に新しい教えを付け加えただけで、両方ともだめにしてしまう教えで、新しい教えは新しい革袋(新しい教え・キリスト教)に入れなければならないことを教えられたのです。
もう一つは、マタイの福音書11書7節から14節、ここでイエス様は「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」と言われました。「女から生まれた者」とは、地上で生まれた人の中でという意味です。つまり、人間の中でバプテスマのヨハネよりも偉大な人は生まれなかったといわれたのです。しかし、そのヨハネよりも偉大なのは、「天の御国の一番小さな者でも、彼より偉大です。」と言われました。「天の御国の一番小さい者」とは、イエス様によって救いを得た人を指しています。実は、バプテスマのヨハネは新約聖書に登場しますが、旧約最後の預言者に数えられます。バプテスマのヨハネはユダヤ人に悔い改めのバプテスマを教えましたが、悔い改めのバプテスマでは救いを得ることができません。神の子イエス様の名前によって受けるバプテスマが、体の汚れを取り除くだけでなく、罪の問題を解決するバプテスマだからです。12節「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」とは、バプテスマの日以来、イエス様によって救われる人がたくさん起こされていることを比喩的に表した言葉です。バプテスマのヨハネは救い主の前に道を整える者として偉大な者でした。しかし、イエス様によって救いを得る私たちは彼よりも偉大な者です。なぜなら、天の御国は私たちのものだからです。
バプテスマのヨハネは、救い主の前に道を整える者として偉大な者でした。しかし、彼は救い主ではなく、イエス様を救い主と証しする者でした。また、彼のバプテスマは外側の汚れを清めるだけで、私たちの罪の問題を解決する(救いに至る)バプテスマではありませんでした。私たちが救われるためには、神の子イエス様の尊い犠牲が必要でした。イエス様は私たちを救うために、十字架の上でご自身のいのちを犠牲にされました。私たちの罪が赦され、天国に私たちの住まいが備えられるためには、この尊い神の子イエス・キリストの命がささげられなければならなかったのです。