父の約束・聖霊(使徒の働き1章1節~8節)

今日はペンテコステの記念日です。ペンテコステは日本語では聖霊降臨日と呼ばれています。詳しい出来事は使徒の働き2章に書かれています。聖霊が下ることは、ペテロが群衆に説明しているように、旧約聖書のヨエル書に預言されていることでした。また、父の約束として聖霊が弟子たちに与えられることは、イエスが弟子たちにお話になられた出来事でもあります。今日は、聖霊が下られた出来事と現在の私たちに与えられた恵みについて学びます。
「インマヌエル」
「インマヌエル」ということばは、イザヤ書7章14節のことばをマタイがイエスの誕生の預言の成就として引用した箇所です。その意味は「神はわれらとともにおられる」という意味です。ユダヤ人にとって神は偉大なお方です。しかしイザヤが見たまぼろしは、その偉大な神が私たちの世界に住まわれるという信じられない預言のことばだったのです。ユダヤ人にとって神は偉大なお方であり、その神が人として誕生し私たちと同じ世界に住むなど考えられないことでした。それゆえ、イエスがご自分のことを神の子と宣言されたとき、宗教指導者たちは神を冒涜したことばととらえ、イエスを十字架につけて殺そうと考えたのです。
ヨハネの福音書14章ではイエスは弟子たちに、ご自分が彼らから離れ父のもとへ帰ることを告げられました。それを聞いた弟子たちは不安になりました。そこで、イエスは次のように言われたのです。

16節「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいてくださいます。」
17節「この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。」

神は「三位一体」なる神です。「三位一体」なる神とは、「父なる神」「子なるキリスト」
「聖霊」という三つの位格持つ「唯一の神」のことです。イエスが地上におられるとき、
弟子たちはイエスと直接、交わることができました。そしてイエスが父のもとに帰られ
代わりに聖霊が父から遣わされることによって、私たちは聖霊と親しく交わることがで
きるようになったのです。「神がともにおられる」「イエスがともにおられる」「聖霊が
ともれる。」これはすべて同じ意味をあらわしています。旧約聖書の時代では神は神が選
ばれた特別な人(モーセやヨシュア)とともにいてくださると約束してくださいました。
その神である聖霊がイエスを神の子と信じる者と共にいてくださると約束してくださっ
たのです。これは驚くべきことで、これはイエスを神の子と信じる者に与えられた特別な
恵みのです。

「聖霊の働き」
「使徒の働き」は「聖霊の働き」とタイトルを変えたほうが良いと言われるほど、「使徒の
働き」の主役は聖霊です。「使徒の働き」の内容は、前半が「教会の誕生」後半が「世界宣
教」の二つに分けることができます。1章4節5節ではイエス様は弟子たちにこのように命
じられました。

4節5節「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水
でバプテスマを授けましたがあなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
そしてその聖霊が、使徒の働き2章の五旬節の日(ペンテコステの日)に弟子たちに下った
のです。神は何の目的で弟子たちに聖霊を与えられたのでしょか。イエス様はこのように説
明しています。
8節「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エ
ルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てにまで、わたしの証人となりま
す。」

父なる神が私たちに聖霊を与えてくださった目的は、イエスに代わって私たちが宣教の働きを担うためです。宣教するといっても私たちの力で人を救うわけではありません。私たちの働きはイエスの証人となることです。「証人」の働きは、自分で見た事実をその通りに述べることです。イエスと共に生活していた弟子たちの証しとは、イエスが神の子であるのに十字架につけられて死なれたこと。またそのイエスが死より三日目に復活して、天に昇られ、今も生きておられることということです。私たちの証しは弟子たちの証言(聖書の言葉)を信じ、今もイエスが生きて働いておられることを、生活を通して証しすることです。私たちの力で人を救うのではありません。人を救うのは神の御業です。
使徒の働き16章に紫布の商人ルデヤの回心について書かれています。ここで、パウロは女性たちに向けてイエスのことを語りました。
16章14節「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」
とあります。神がルデヤの心を開きパウロの語る事に心を留めるようにされたので、彼女も家族もイエスを救い主と信じ洗礼を受けたのです。イエスをキリスト(救い主)と信じるのは聖霊の働きです。私たちの働きはイエスを救い主と証しすることです。私たちもイエスが救い主であることを理解できたから洗礼を受けたわけではありません。イエスをキリスト(救い主)と信じたから洗礼を受けた者のです。その信じる力は聖霊から与えられた力でした。イエスは天に昇って行かれましたが、神は代わりに聖霊を遣わしてくださいました。その聖霊は私たちと共におられるお方です。また、宣教のために私たちを用いてくださるお方です。神に信頼しこれからも聖霊と共に歩んでいきたいと思います。