「神によって備えられた豊かな人生」出エジプト記3章1節~12節
神様の存在を信じない者にとって、この世に生まれたことは偶然であって、何の目的も意味もありません。私がクリスチャンになる前、なぜ、自分は生まれたのか、生きることに何の意味があるのか、なぜ、人は生きなければならないのか、その答えを探していましたが、答えを見つけることができませんでした。そこで、私は自分がこの世で生きていた証拠(証し)として、この世に、自分の会社か、お店を作ろうと、自分で計画を立ててお金を貯え始めました。三年ほど頑張ってお金を貯めましたが、それでも、心の中に疑問があり、これで自分の人生はいいのかと、先の見えない暗闇の中を歩いているような一日一日でした。
そんな時に、教会に誘われ、礼拝に出るようになり、神様の存在を信じるようになりました。また、私は偶然に生まれた者ではなく、神様が目的をもって作ってくださったことを知った時、何か、肩の荷が下りたように感じました。今まで、自分で努力して人生を切り開いていかなければならないと頑張ってきましたが、しかし、人生とはそのようなものではないことを教えられました。考えてみれば、私たちはどんなに頑張っても自分の計画通りに生きられるものではありません。病気になったり、事故に遭ったり、先の見えない、予測のできない社会に生きているものです。しかし、神様はすべてのことをご存じで、私たちを祝福するために私たちの人生を備えてくださっています。それを知ったとき、人生とは自分の努力で切り開くのではなく、神様に生かされている人生だと気づかされたのです。
先週は、出エジプト記1章から、神様は万物の支配者であられ、悪魔の計画をも神様はご自分の計画の中で益に変えてくださるお方であること学びました。今日は、モーセの人生から、神様が備えてくださる神様の祝福について学びます。モーセが生まれた時代は、イスラエルの民に対するエジプトの王の迫害が一番激しい時代でした。男の子が生まれたら、ナイル川に投げ捨て殺さなければならないとの命令が下されていたのです。モーセの両親は、モーセの命を助けるために、ひそかにモーセをかくまいましたが、それでも、限界があり、モーセを助けるためにモーセをかごに入れて、ナイル川の岸辺にそのかごを隠しました。誰かに拾われて育てられることを願ったからです。神様はモーセを助けるために、エジプトの王の娘を用いました。彼女がナイル川で水浴びをしようとしたとき、そのかごを見つけ、モーセを自分の子として育てる決心をし、モーセを自分の住む王宮で育てるために連れて行ったのです。エジプトの王の娘はその子にモーセという名を付けました。モーセとは引き出すという意味で、彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったとあります。彼女は、この子を自ら引き出したと言って、モーセと名付けましたが、神様は初めから、モーセをエジプトからイスラエルの民を引き出す者として選んでおられたのです。
モーセは40歳まで、エジプトの王宮で育てられました。しかし、彼が40歳になったとき、イスラエルの民の苦しみを見て、彼らを自分の手で助けたいという思いを持ちました。しかし、それは、神様の計画ではなく、彼は失敗し、荒野へと逃げていきました。彼がさらに荒野で羊飼いとして40年の歳月が過ぎたとき、初めて、神様がモーセの前に現れて、彼の人生の目的を明しされたのです。それは、エジプトで苦しめられている、イスラエルの民を助け出し、先祖アブラハムに約束したカナンの地にイスラエルの民を導き入れるというものでした。この時、モーセはこの神様の命令に喜んで従うことはできませんでした。彼が神様の命令を拒んだのには、以下の四つの理由がありました。
1、 40年前の失敗が彼の心の傷として残されていました。
2、 40年前であれば、エジプトの王の娘の子という特権がありましたが、今は、ただの老いぼれた羊飼いでしかありません。イスラエルの民を助け出す権限、権威がない。
3、 80歳という高齢で、そのような大きな働きはすでにできない。体力的な問題。
4、 自分は言葉の人ではない。人前で話すのが苦手である。能力がない。
そんな自信のないモーセのために神様は以下の四つのものを備えられました。
1、エジプトの王との親しい関係。当時のエジプトの王は、子供のころからモーセと親しい関係にありました。誰でも簡単にエジプトの王に面会できるわけではありません。子供の頃親しかったモーセだからこそ、エジプトの王はモーセとの面会を喜んだのです。
2、謙遜な心。40歳の時のモーセは自分の力が強く、神様のことばに完全に従うことができなかったでしょう。しかし、今は80歳という年齢と人生の経験を通して謙遜を身に着けていました。
3、能力的な助け。神様は人前でしゃべるのが苦手なモーセのために、協力者として兄のアロンを与えることを約束してくださいました。
4、神様が共に働いてくださるという約束です。
4番目が一番大切な備えです。神様が備えてくださった人生を自分一人の力で生きることはできません。神様が共にいてくださることが一番の幸いな人生です。
モーセの生涯は120年ですが、40年40年40年と三つの段階に分けられます。初めの40年がエジプトでの王宮での40年。モーセはこの40年の間、世界中の知識を得、リーダーとしての訓練を受けました。また、次の40年は羊飼いとして荒野での生活の仕方を身に着けました。そして、最後の40年は、男性だけで60万人というイスラエルの群衆を連れて、神様の約束の地カナンの近くまで導きました。結局、モーセ自身は、カナンの地に入ることができず、その前で天に召され、モーセの僕ヨシュアがモーセの働きを引き継いで、イスラエルの民をカナンの地に導き入れました。
モーセの人生は、決して多くの財産を残すような人生ではありませんでした。また、イスラエルの民をカナンの地に導き入れることもできませんでした。しかし、モーセ自身は満足して神様のもとに召されたのではないかと思います。また、神様自身も喜んでモーセを天において受け入れられたのではないでしょうか。私たちの人生の幸いは、この地上に多くの財産を残すことでもなければ、有名になることでもありません。神様の御心に従って生きることが本当の人生、幸いな人生と言えます。神様は私たち一人一人に特別な計画をもって命を与えてくださいました。私たちはその神様と出会って、神様が備えられた人生を歩むとき、最高の人生を生きることができるのです。