神の子となる特権

ヨハネの福音書1章1節~13節 キャンドルサービス

使徒ヨハネはヨハネの福音書でイエス・キリストを紹介するのに「ことば」「ひかり」という言葉を用いました。5節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」とあります。今、世界は戦争や飢饉によって闇の世界の中にあるようです。しかし、闇は外の世界だけではなく、私たちの心の中にもあります。悲しみや不安、恐れや心配があると心の中が暗闇になります。イエス・キリストは外の世界だけではなく、私たちの心を照らすひかりでもあります。9節「すべての人を照らすまことのひかりが、世に来ようとしていた。」

とあります。旧約聖書はこのひかりである救い主が来られるという預言の時代でした。しかし、その預言は新約聖書のイエス・キリストの誕生によって実現されました。12節「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子となる特権をお与えになった。」とあります。「神の子となる」とは、天使のような存在になるという意味ではありません。神との親しい関係を回復するとう意味です。

創世記の1章で、神は天地すべてのものを六日間で創造されました。そして、神はアダムをエデンの園に住まわせました。その時、神と人との間には親しい関係がありました。その関係を壊したのは人間でした。アダムとエバは神が食べてはいけないと戒められていた善悪の木の実をヘビ(サタン)にそそのかされ取って食べてしまいました。二人はすぐには死にませんでしたが、神に退けられエデンの園から追い出されてしまいました。それ以来、神と人間との間には大きな壁ができてしまいました。この壁(罪)の問題を解決するために生まれたのが神の子イエス・キリストです。イエス・キリストは人々の罪を背負い、十字架の上でご自身のいのちを犠牲にされました。私たちは、イエス・キリストの贖いによって罪赦された者となり、神との親しい関係を回復することができたのです。13節「この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも、人の意思によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」とあります。私たちが神の子となるのは、「血によって」とは、民族によってではないとうことです。また。「肉の望むところでも、人の意思によってでもなく」ということは、人間の考えや意志によってではなくということです。私たちが神の子となるのは、ただ、神の恵みとあわれみによってという意味です。

神の子となるとは、「養子縁組」と似ています。養子縁組は法的に親子の関係を結ぶことです。しかし、養子縁組では戸籍に養子と記述されます。あるテレビのドラマで、ある夫婦が将来養子であることがこどもにばれないように、不法に子をあっせんするグループと契約を結ぶ事件がありました。そして警察がそのグループを摘発するという刑事ドラマです。実は、その刑事の一人が、最後に自分も養子であることをその夫婦に証しする場面がありました。彼は不正に養子縁組をしようとした二人にこのように言いました。「養子であろうと、実の子であろうと関係ない。自分にとって親は自分を育ててくれた父と母以外にはない。」親子の関係とは、法的な問題ではなく、愛情の問題だということです。神様と私たちの関係も同じです。私たちが神の子となるということは、神の愛を知るということです。

イエス様のたとえ話に「放蕩息子のたとえ」というお話があります。ある人に二人の息子がいました。弟息子は父より財産を受け取り遠くに行ってしまいました。そこで彼は財産を使い果たし、また、飢饉によって食べるのも困るほどになってしまいました。そこで彼は父のいる家に帰る決心をしました。彼はもう、息子としてではなく、雇人の一人でもかまわないと心に決めて家に帰りました。すると、彼が家に着く前に、父が彼を見つけて、走り寄り彼を抱きしめ、彼を赦して彼のために宴会を催したのです。父は彼を咎めませんでした。兄は父が弟を赦し咎めなかったに怒り家に入ろうとしませんでした。父は兄息子をなだめますが、彼の怒りはおさまりません。兄息子は父に言いました。私は今までお父さんに仕え、あなたの戒めを破ったこともないのに、私のために子やぎ一匹くださいませんでした。兄と父の関係は、親子ではなく主人としもべの関係のようでした。弟息子は父と離れ、苦しみの中で父の許に帰ることによって、父の赦しと愛を体験し、父と子の親しい関係を回復しました。しかし、兄息子は父の愛を知ることはありませんでした。このお話の父は神様を表し、弟息子は、罪を犯した私たちを表しています。私たちが自分の罪を認める時、神の愛と赦しを体験します。また、私たちの罪の赦しのために、神の子イエス・キリストが十字架で死なれた事。また、その死が自分の罪の身代わりの死であることを認める時、イエス・キリストがなして下さった愛の大きさに気が付くのです。神様は私たちを愛しているが故に、神のひとり子イエス様を一人の人間としてこの世に誕生させられました。それがクリスマスの奇跡です。また、イエス様の誕生は私たちの救いの始まりです。私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって、神との親しい関係を回復し、神の子となり、神様に愛されていることを知るのです。