「神の子の権威」ルカの福音書7章1節10節
マタイの福音書16章13節から20節で、イエス様が弟子たちに「人々は人の子(イエス・キリスト)」を誰だと言っていますか。」と尋ねられました。すると弟子たちは「バプテスマのヨハネだという人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」と答えました。また、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねられました。するとペテロが弟子たちを代表して「あなたは生ける神の御子キリストです。」と答えました。イエス様はこの答えに満足してペテロに言われました。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と言われました。イエス様がペテロの答えを誉めたのは、ペテロが、イエス様を預言者ではなく、神の御子キリストであると告白したことばにあります。ルカの福音書7章の百人隊長のしもべのいやしのお話は、百人隊長がイエス様を誰だと認めていたかが大切なポイントのお話なのです。
イエス様がカペナウムに入られると、ユダヤ人の長老たちがイエス様のところに来て、百人隊長のしもべを助けてくださるようにお願いしたとあります。この百人隊長はヘロデ王の軍隊かローマの軍隊か定かではありませんが、ユダヤ人ではない異邦人でした。では、なぜ、ユダヤ人ではない異邦人(ユダヤ人は外国人を軽蔑していた)のためにわざわざ長老たちはイエス様に熱心にお願いしたのでしょうか。4節にこうあります。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。」なぜ、異邦人であるのにユダヤ人であるイエス様に助けて頂く資格があるのか。5節「この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」とあります。この百人隊長は、ユダヤの国を愛し、ユダヤ教の礼拝場である会堂を建てた人でした。なぜ、百人隊長はユダヤ人のために会堂を建てたのでしょうか。それは、彼がユダヤ教に改心はしていないが、ユダヤ人が信じている神をまことの神と信じていたからです。
ではなぜ、百人隊長は直接、イエス様にお願いに来なかったのでしょうか。理由は二つあります。
1.イエス様に会う資格がない。
この百人隊長は、ユダヤ教についてもかなり勉強し、ユダヤ教の習慣をも理解していました。当時、ユダヤ人が異邦人と親しくすること、異邦人の家に入ることは律法で禁じられていました。百人隊長はそのことを良く理解していたので、自分はユダヤ人ではないので、イエス様に直接、会う資格のない者である。それゆえ、わざわざ、ユダヤ人の長老に自分の代わりにイエス様の所に行ってもらい、しもべの病のいやしをお願いしてもらったのです。
2.イエス様に神の権威があることを認めていた。
このお話の中で、大切な言葉は「権威」と言うことばです。百人隊長は軍人で、上官の命令は絶対に従わなければならないことを身をもって知っていました。それゆえ、自分が部下に「行け」と言えば行くし、「来い」と言えば来ることを知っていました。人間の権威ですらそのように人を動かすことができるなら、神の権威を持つイエス様なら、しもべの所に来なくても、イエス様のことば(命令)でしもべの病はいやされると信じたのです。
9節「これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。『あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰はイスラエルの中にも見たことがありません。』」今までイエス様に助けを求めに来た人々は、全て、イエス様に病人の所に来て頂くか、もしくは、病人をイエス様のところに連れて来て病をいやしてもらいました。ところが、この百人隊長はイエス様に来ていただかなくても、イエス様のことばだけで、しもべの病がいやされると信じたのです。なぜ、彼にそれができたのか、それは彼が軍人であり、権威の力を認めていたからです。百人隊長はイエス様に神の権威があることを信じました。それは、初めにお話した、ペテロの信仰告白「あなたは生ける神の御子キリストです。」と同じ意味があるのです。
11節から17節のナインのやもめの息子を生き返らせるお話は、ルカの福音書だけに記された奇蹟のお話です。以前にもお話しましたが、ルカは医者でした。当時の医者の多くは貧しく、貧しい人々の病を治していたのです。そういう背景があり、ルカの福音書には、羊飼いややもめなど貧しい人々、神様から遠い存在と思われていた人々のお話が多く記されています。イエス様がナインと言う町に入られると、一人のやもめを先頭に、その息子の棺が担ぎ出される所に出くわしました。イエス様はその息子が一人息子であり、この女性がこの後、一人で生きていかなければならないことをかわいそうに思われ、その棺に手をかけられて「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われました。15節「すると、その死人が起き上がってものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。」とあります。このお話の中心は、このやもめの信仰が問題ではなく、やもめをかわいそうに思われたイエス様の心が中心です。律法の教えでは、棺に触れることは自分を汚すことになることを教えていました。イエス様はそのことを知っておられながら、このやもめの女性のために棺に手をかけてこの青年を生き返らせたのです。そこにイエス様の大きな愛と哀れみの姿をルカは描こうとしたのです。
ルカはこの二つのお話を通して、私たちに何を教えようとしているのでしょうか。
1.異邦人、百人隊長の信仰。
2.イエス様のやもめの女性に対するあわれみ。
ルカの福音書は異邦人テオピロと言うローマの高官のために書かれた福音書です。ルカは、異邦人である、百人隊長の信仰をテオピロに伝えたかったのではないでしょうか。もう一つは、やもめという社会的には誰も顧みないような小さな存在さえ、イエス様は愛しておられることをテオピロに伝えたかったのではないでしょうか。また、テオピロだけではなく、異邦人でイエス様を信じたい人に対してルカは、イエス様がユダヤ人だけではなく、異邦人にも、やもめにも心を開き、私たちさえ救ってくださる。助けてくださるお方であることをこの二つの話は私たちに語りかけておられるのです。