神の摂理と運命

「神の摂理と運命」創世記45章4節~8節

運命とは、人が生まれて死ぬまで全てが決められていて、人間の努力では変えることのできない人生のことを言います。神の摂理とは、神が全てのことを支配し、私たちも神様の計画の中で生かされている人生のことを言います。運命論者は、自分の人生を自分で変えることができないと信じ、すべ手の不幸を自分の運命とあきらめて生きてゆきます。しかし、神の摂理を信じる者は、たとえ、苦しみの中にいても希望を失いません。なぜなら、神様は万事を益に変えてくださる神様だと信じているからです。

先週は、イサクのこどもエサウとヤコブについて学びました。兄のエサウは父の族長という権力と財産を求め、ヤコブは神様の祝福を求めたというお話しをしました。ヤコブは兄の怒りを恐れ、母リベカの兄ラバンの下に避難しました。そこで、ヤコブはラバンの娘ラケルに恋をしたのです。ヤコブはラケルと結婚するために7年間、叔父のラバンの下で働くことを約束しました。7年が終わり、二人は結婚しました。ところが、朝ヤコブが起きてみると、寝床にはラケルではなく姉のレアが寝ていたのです。ヤコブはラバンに抗議しました。しかし、ラバンはヤコブに、この村では姉より先に妹を嫁がせることはない、妹のラケルが欲しければ、姉のレアとも結婚しなければならない。そのために、もう7年ヤコブに自分の下で働くように命じたのです。ラバンは、初めからヤコブを7年ではなく、もっと長くこき使うためにヤコブを騙したのです。ヤコブはしかたなく、二人とも妻に迎えました。しかし、ヤコブが愛したのはラケルでした。神様は愛されない妻レアのために4人のこどもを与えられました。しかし、ラケルは子を産むことができませんでした。そこで、ラケルは自分の女奴隷ビルハをヤコブに妻として与えたのです。ビルハは2人の男の子を産みました。それを知ったレアも自分の女奴隷ジルパをヤコブに妻として与えました。そしてジルパも二人の男の子を産みました。さらにレアは二人の男の子を産みました。ラケルはヨセフとベニヤミンを産みました。結局、ヤコブは四人の奥さんを持ち、それぞれ、母親の違う12人のこどもを得たのです。ヤコブはラケルの子ヨセフを特別に愛しました。そのためにヨセフは兄弟たちからねたみを受け、兄弟たちは父の知らないうちに、ヨセフをイシュマエル人の商人に奴隷として売ってしまったのです。ヨセフは17歳にして、兄弟に憎まれ、イシュマエルの商人に奴隷として売られてしまいました。その後、ヨセフはエジプト人ポテファルという人の下で働くようになりました。聖書は、「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。」とあります。エジプトの地でヨセフは主人に信頼される者となっていました。しかし、主人の奥さんに目をつけられ度々、誘惑に会いました。ヨセフはそのたびに逃げ回りましたが、ある時、主人の奥さんはヨセフの上着を取り、ヨセフに乱暴されそうになったと主人に訴えたのです。主人は怒ってヨセフを牢獄に入れたのです。牢獄でもヨセフの働きは認められ、監獄長から信頼を得る者となりました。ヨセフは何も悪いことをしていないのに、兄弟に憎まれ、奴隷として売られ、監獄に入れられてしまったのです。しかし、聖書は「主がヨセフとともにおられた」と記しています。先程の、運命論者なら、自分の運命を呪って人生をあきらめるかもしれません。しかし、神を信じるヨセフは希望は失っていません。同じ牢にパロの高官も捕えられていました。献酌官と調理官です。彼ら二人は同じ日に不思議な夢を見ました。二人はヨセフにその夢の話をしました。献酌官の夢は、ぶどうの木から三本のつるがあり、ぶどうが熟して、パロの杯にぶどう酒をしぼるという夢でした。ヨセフは彼に、三日目に牢から出て、また、以前のようにパロにつかえるようになるとその夢の意味を説明しました。調理官の夢は、頭の上に三つのかごがあり、鳥が来てそのかごから食べ物を食べてしまったという夢でした。その夢の意味は、三日後にパロに呼び出され殺されるという意味ですと彼に言いました。三日後、ヨセフのことば通り、献酌官は元の職に戻され、調理官は殺されてしまいました。しかし、献酌官はヨセフのことを忘れてしまいました。その二年後、エジプトの王パロは不思議な夢を見ました。それは、七頭の肉づきのよい牝牛が、やせこけた七頭の牝牛に食べられてしまうという夢でした。パロは不安になりこの夢の意味を解き明かす者を捜しましたが、だれもいませんでした。その時はじめて、献酌官は牢獄にいたヨセフのことを思い出したのです。王はすぐにヨセフを牢獄から連れ出し、夢の話をしました。ヨセフは、パロの夢が、これからエジプトに起こる、7年の豊作とその後、起こる7年の飢饉の意味であることを説き明かしたのです。パロは、ヨセフの説き明かしに満足し、ヨセフをエジプトで総理大臣の地位に任命したのです。

ヨセフの説き明かし通り、7年の豊作と7年の飢饉がエジプトを襲いました。世界中に食べ物がなくなりましたが、ヨセフのゆえにエジプトには食べ物が貯えられていました。ヤコブの家族も食べ物を求めてエジプトにやって来ました。そこで、ヨセフは兄弟たちと再会したのです。ヨセフは自分の事を隠して、兄シメオンを人質にとり、末の弟ベニヤミンを連れてくるように彼らに命じたのです。彼らは父にこのことを話しましたが、父はベニヤミンをエジプトに連れて行くことを強く拒みました。しかし、食べ物も乏しくなり、兄弟たちはベニヤミンを連れてエジプトに行きました。ヨセフは兄弟たちを歓迎し彼らを送り出しましたが、自分の杯をベニヤミンの袋に隠して送り出しました。その後、自分の杯が無くなったといって彼らを呼び戻し、自分の杯が見つかった者をエジプトに置いていくように命じたのです。その杯はベニヤミンの袋から出てきました。ユダは父のことを心配してベニヤミンの代わりに自分がエジプトに留まりパロの奴隷になると言い出したのです。実は、このユダこそ、自分をイシュマエル人の商人売り渡した張本人でした。ヨセフはベニヤミンの身代わりに自分が奴隷になると言い出したユダの姿を見て彼らを赦す決心をしたのです。そして、ヨセフは彼らに言いました。「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年間は耕すことも刈り入れることもできんじゃいでしょう。それで神は私をあなた方より先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」ヨセフは、自分が奴隷としてエジプトに売られたのは兄弟たちのねたみによってではなく、全ては神様が人々を救うための計画であったことを認めたのです。それゆえ、兄弟を赦す決心をしたのです。それこそが、神の摂理を信じる者の姿でした。

私たちは、ヨセフのような苦しみにあうことはないでしょう。しかし、私たちの人生に苦しみがあることも事実です。私たちはヨセフの人生を通して苦しみには意味があることを学びました。もし、苦しみの無い人生を歩むなら、自分を神として生きるのではないでしょうか。少なくとも、神様を求めることはないでしょう。苦しみには意味があり、時に、それは神様を求めるように与えられた神様からのサインかもしれません。運命論者は、自分の力で解決できない問題に出会った時、自分の運命として人生をあきらめるしかありません。しかし、神の摂理を信じる者は、人生をあきらめることはありません。なぜなら、神は万事を益にしてくださることを知っているからです。