「若い二人に訪れた夫婦の危機と祝福」ルカの福音書1章26節~38節
先週は老夫婦(ザカリヤとエリサベツ)に与えられた神様の祝福と題して、バプテスマのヨハネの誕生とその意味について学びました。今日は若い夫婦マリヤとヨセフからイエス様の誕生の意味について学びます。ユダヤの結婚の制度は、一年間の婚約期間も法的に夫婦と認められます。マリヤとヨセフはまさにこの婚約期間でしたが、法的には夫婦と認められていたのです。それゆえ、マリヤはヨセフの妻でしたがまだ一緒になる前でしたから処女(おとめ)でした。そのマリヤに突然、御使いガブリエルが現れ、彼女がみごもって、男の子を産むと告げたのです。また、その生まれる子が、32節33節「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国はおわることがありません。」と告げたのですからとマリヤは驚いてしまいました。彼女が一番驚いたことは、自分が子を産むということでした。34節「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人をしりませんのに。」マリヤはヨセフとも他の男性とも特別な関係を持ったことがありませんでした。それなのに、どうしてみごもるのかできるのか、マリヤには全く理解できませんでした。御使いはマリヤに言いました。35節「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」37節「神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは御使いの説明で理解できたのでしょうか。彼女は御使いに答えました。38節「ほんとうに、私は主のはしためす。どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身にありますように。」彼女が理解できたのは、この出来事が神様から出たことで、神様のご計画のために自分が神様に選ばれたと言うことではないでしょうか。それゆえ、彼女は神様のご計画のために自分自身を神様にささげる決心をしたのです。
マリヤが神様の計画に従うことによって大きな問題が生じます。ヨセフとの関係です。もし、ヨセフが自分(マリヤ)がみごもったことを知れば、自分が不貞を働いたと誤解され結婚は解消されるかもしれない、それより、姦淫の罪で殺されるかもしれない。そのような危険な立場に自分を置くことになる。神様はそれでも自分を助けてくれるだろうかマリヤは不安であったと思います。そのような危険な立場に立たされることを承知でマリヤは神様の計画に従う決心をしたのです。
マタイの福音書1章をご覧下さい。マリヤが心配した通り、ヨセフはマリヤがみごもったことを知り苦しみました。まだマリヤとの夫婦の関係が無いのに、マリヤが子をみごもった、これは、彼女の不貞であり、自分への裏切りです。ここで、ヨセフには二つの選択がありました。一つは、姦淫の罪で彼女を訴え死刑にすること。もう一つは、結婚を解消することでした。マリヤを愛するヨセフは、内密に彼女を去らせる道を選びました。ヨセフにとってどれほどの悲しみと苦しみだったでしょう。しかし、神様はご自分の計画のために若い二人を覚えておられました。神様は主の使いをヨセフの夢の中に登場させ、マリヤの妊娠が不貞ではなく神様のご計画であることを告げたのです。20節21節「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」ヨセフは主の使いのことばを理解できたでしょうか。理解できなかったと思います。しかし、ヨセフはマリヤが不貞を働くような女性ではないことを信じていました。それゆえ、マリヤの妊娠が神様の計画であることを知ったヨセフは、身重のマリヤをそのままで受け入れる決心をしたのです。神の子イエス様の誕生は、マリヤとヨセフの夫婦にとって危機的な状況を招く出来事でした。決して喜んで受け入れる出来事ではありません。しかし、マリヤもヨセフも神様を信頼して神様の計画に従う決心をしたのです。このことは神様の選びでもありました。神様はこの二人だからこそ、ご自分のひとり子を委ねる決心をされたのです。
神様の選びは、時として、私たちにとって苦しみとなります。しかし、忘れてはならないことは、神様が与える試練には必ず、神様の助けと祝福があることです。神様は私たちを苦しめることが目的ではなく、苦しみを通して信仰を成長させ、神様との関係を深めることにあります。もし、私たちの人生が、苦しみや問題の無い人生であったら、神様の助けを求めたり、神様の愛や慰めを知らないで人生を終えることになるでしょう。親が子の成長を願うように。神様も私たちの成長を願っています。また、聖書は、私たちに負いきれない重荷を神様は与えないと約束しています。もし、マリヤとヨセフのような苦しみが私たちに与えられたら誰も耐える事ができないでしょう。神様は、マリヤとヨセフだから二人を選ばれたのです。苦しみや問題の無い人生を送る人は誰もいません。誰でも、人生の中で苦しみや問題に出会います。その時に、自分を愛している神様を知っている人は幸いです。苦しみが大きいほど、問題が大きいほど、その苦しみや問題が解決した時の喜びはどんなに大きいものでしょう。
救い主イエス・キリストの誕生。それは、神様が私たちを罪の中から救い出し、天の御国に私たちを招きいれるために神様が計画された出来事です。イエス・キリストが人として肉体を持って生まれるためには一人の女性の助けが必要でした。そのために選ばれたのがマリヤです。マリヤはこの救い主が誕生するために、自分の結婚といのちを神様にささげたのです。マリヤの献身によって救い主は誕生することができたのです。かつて、イスラエルの国がペルシャの国に支配されている時、一人のユダヤ人女性エステルが王妃に選ばれました。しかし、しばらくして、ハマンという大臣によってユダヤ民族は滅亡の危機にさらされました。その危機を救ったのが王妃エステルでした。エステルは自分のいのちをかけて王にユダヤ人の救いを嘆願したのです。エステルがいなければユダヤ民族は滅んでいたでしょう。エステルはこの日のために神様に選ばれた人物だったのです。神様は私たちがうまれる前から私たちを知り、選んでこの世に生み出して下しました。そこには、一人一人神様の計画があります。まず、神様は私たちを愛しているがゆえに、私たちの救いのためにひとり子イエス様をささげてくださいました。それゆえ、私たちもその神様の愛に応えて、自分のいのち、人生を神様にささげるべきではないでしょうか。クリスマスは神様の愛がイエス様によって具体的に私たちに表された日です。今年のクリスマス。神様の愛と自分に与えられた神様のご計画に付いて考えてみましょう。