預言者よりすぐれた者バプテスマのヨハネ

「預言者よりすぐれた者バプテスマのヨハネ」ルカの福音書7章18節~35節

ルカの福音書を書いた、ルカだけがバプテスマのヨハネの誕生について詳しく書いています。バプテスマのヨハネは、祭司ザカリヤとエリサベツの夫婦から生まれました。しかし、エリサベツは不妊の女性で、長い間、子を産むことができませんでした。二人が歳を取り、子を産むことをあきらめた頃に、主の使いが現れ、エリサベツが男の子を産むと告げられたのです。しかも、その生まれる子は、旧約聖書で預言された救い主の前に道を整える者になると言われたのですから、ザカリヤは主の使いのことばを信じることができませんでした。主の使いは、ザカリヤが主のことばを信じなかったので、その子が生まれるまで口がきけなくなると言われました。そのことば通り、ザカリヤはたちまち口がきけなくなってしまったのです。しばらくして、バプテスマのヨハネが生まれると、ザカリヤの口が開かれ、ザカリヤは、神をほめたたえ、事の次第を人々に伝えたのです。

バプテスマのヨハネは成長し、ヨルダン川に現れ、人々に自分の罪を悔い改めバプテスマ(洗礼)を受けるように人々に叫びました。このことは、当時のユダヤ人には衝撃的なことばでした。なぜなら、ユダヤ教の教えの中にバプテスマ(洗礼)の儀式は存在していました。しかし、そのバプテスマを受けるのは、異邦人と呼ばれた外国人が、ユダヤ教に入信する時に、今までの罪を洗い流すと言う意味で行われてきたからです。律法学者パリサイ人たちは、ユダヤ人はアブラハムにより特別に、神によって清められた民族であると教えられていたからです。しかし、バプテスマのヨハネはそのユダヤ人に向かって、自分の罪を認めて悔い改めのバプテスマを受けなさいと教えたのです。それを聞いて、群衆は自分の罪を認めて洗礼を受けるために、バプテスマのヨハネの所に集まってきました。しかし、律法学者パリサイ人たちは、バプテスマのヨハネの教えを非難したのです。

ルカの福音書7章18節からの出来事は、バプテスマのヨハネがヘロデ王を非難したために、牢獄に閉じ込められた時からのお話です。バプテスマのヨハネが弟子たちから聞いたイエス様についての報告は、自分が予期したものではありませんでした。バプテスマのヨハネは、イエス様を見てこの方こそ救い主と信じました。しかし、その後のイエス様の働きは、バプテスマのヨハネの期待するような働きではありませんでした。そこで、直接、イエス様の考えを知りたくて、弟子たちをイエス様のところに遣わしたのです。イエス様はこの遣いに、22節でこのように言われました。「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、らい病に冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」このことばは、イザヤ書35章5節6節の引用です。イエス様はご自分がイザヤ書に預言されたメシヤであることを、この個所を通してバプテスマのヨハネに伝えるように言われたのです。

この時、イエス様はバプテスマのヨハネがどのような人物であるかを人々に教えました。

1.預言者よりもすぐれた者。

旧約聖書の預言者たちは、メシヤ(救い主)について、神様からことばをいただき預言しました。しかし、バプテスマのヨハネは、直接、救い主のためにその道を整える働きをしました。(人々に罪を教え、悔い改めのバプテスマの必要を教えた)

2.女から生まれた者の中で一番すぐれた人。

「女から生まれた者」とは、すべての人を指しています。イエス様は人間の中で、バプテスマのヨハネよりもすぐれた人は一人も生まれなかったと、バプテスマのヨハネを高く評価したことばを言われたのです。しかし、ここでイエス様はもう一言付け加えています。「しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」ここで言われている「神の国で一番小さい者」とは、イエス様によって罪赦され、永遠のいのちを与えられた者たちのことを指しています。それは、バプテスマのヨハネの洗礼は、悔い改めの洗礼であり、そこには救いがないからです。イエス様の名による洗礼だけが、罪を赦す権威が有り、イエス様によって救われた者がバプテスマのヨハネより偉大な者だとイエス様は言われたのです。

イエス様は、その時代の人々(律法学者パリサイ人)を当時のこどものはやり歌にたとえました。31節32節「では、この時代の人々は、何にたとえたらよいでしょう。何に似ているでしょう。市場にすわって互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』」その意味は次の33節34節に説明されています。「というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』とあなたがたは言うし、人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしん坊の大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。」結局、律法学者パリサイ人たちは、せっかく、神様が送ってくださったバプテスマのヨハネも救い主イエス様も、自分たちの考えに合わないとして受け入れなかったことをあらわしたものです。

この後、バプテスマのヨハネは、ヘロデ王によって首を切られ殺されてしまいました。彼の人生はイエス様より短い人生でした。しかし、彼のなしたことは、だれにもできない偉大なことでした。それと同じように、神様はバプテスマのヨハネだけではなく、私たち一人一人にも目的を与えてこの世に生み出してくださいました。私たちは、何の目的のために生まれ、また、私たちはその目的のために生きているでしょうか。