預言者サムエル誕生と生涯

サムエル記Ⅰ 3章1節~14節

今日からしばらく、旧約聖書に登場する預言者について学びます。旧約聖書の中で最初に預言者と呼ばれたのはサムエルです。それ以前は予見者と呼ばれていました。予見者と預言者の違いは、予見者は未来を予見する者で、預言者は神のことばを預かる人のことです。

1、預言者サムエルの誕生

サムエルの誕生については、サムエル記第一の1章と2章に詳しく記されています。父はエルカナ、母はハンナという女性でした。ハンナは不妊の女性で子を産むことが出来ませんでした。そこでエルカナはもう一人の妻ペニンナを娶り子を得ていました。ペニンナは子の産めないハンナをいじめたとあります。ハンナは苦しみの中、神に助けを求め祈りました。

サムエル記第一1章11節「そして誓願を立てて言った。『万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。』」

「その子の頭にかみそりを当てません」とは、ナジル人の誓いと呼ばれるもので、モーセの時代より、神に特別な誓いをするときに、ぶどう酒を飲まないこと、汚れた物を食べないこと、髪の毛を切らないことが義務付けられていました。ハンナの祈りは、生まれる子をナジル人として神にささげますという祈りでした。そして生まれたのがサムエルです。ハンナは神との約束に従って、サムエルが乳離れすると神に仕える者とするために祭司エリに預けました。

祭司エリは神に仕えるイスラエルの民の指導者です。しかし、彼の息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかったとあります。また、2章17節「このように、子弟たちの罪は、主の前で非常に大きかった。この人たちは主へのささげ物を侮ったのである。」とあります。祭司エリの権威は息子たちを正すこともできず、イスラエルの民の信仰も堕落した状態でした。そんな環境の中ですが、サムエルの信仰は守られ神に仕え、神殿(幕屋)の中で生活していました。

2、神のことばを預けられたサムエル

ある日、少年サムエルは神の呼びかけを耳にしました。しかし、サムエルはその声が神の呼びかけとは気づかず、祭司エリの声と思い彼の許へ行きました。しかし祭司エリは呼んでいないと言い彼を返しました。それが三度あり、三度目に祭司エリは神がこの少年を呼んでおられることを知り、サムエルに言いました。3章9節「主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております。』と言いなさい。」神はもう一度サムエルを呼ばれ、エリの家の裁きについて語りました。サムエルが神より最初に聞いた神のことばが祭司エリの家の裁きとはなんと悲しいことでしょう。サムエルは自分を育ててくれた祭司エリに対する神の裁きを伝えることを恐れました。祭司エリはサムエルに何も隠さないで真実を告げるように命じました。サムエルは恐れつつも神の裁きのことばを祭司エリに告げたのです。その後、4章に入って、ペリシテ人との戦いがありました。イスラエルの民は打ち負かされ四千人が殺されました。そこで、彼らは神の契約の箱を戦場に持ってこさせたのです。神の契約の箱があれば勝利できると考えたからです。しかし、再び戦がありイスラエルの民は打ち負かされ、神の契約の箱は敵に奪われてしまいました。この戦いで息子は戦死し契約の箱が奪われたことを知った祭司エリは、絶望してイスから倒れ首の骨を折って亡くなってしまいました。こうしてサムエルに語られた神のことばは成就されたのです。その後、神はペリシテ人を苦しめ、彼らは自ら契約の箱をイスラエルの民に送り返しました。また、サムエルの働きによって人々の心は神を慕い求めるようになりました。サムエルの影響力は全イスラエルに臨み、サムエルは預言者としてイスラエルの指導者になったのです。

3、イスラエルの民に退けられる預言者サムエル

サムエルは預言者としてイスラエルの国でその地位を確立し、人々から指導者として尊敬を受けていました。8章1節「サムエルは年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。」とあります。しかし、二人の息子ヨエルとアビヤは3節「しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。」

とあります。イスラエルの長老たちはサムエルに言いました。5節「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」このことばはサムエルにとって一番辛い言葉ではなかったでしょうか。サムエルがさばきつかさとして任命した二人の息子は不正を行う者で指導者としてふさわしくなく、あなた自身も年老いてイスラエルの国を正しく導くことが出来ないので、隠退して新しく国を治める王を立ててくださいと申し出されたのです。そこでサムエルは主に祈ったとあります。主はサムエルに言われました。8章7節~9節「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、私を捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」神は、人々はサムエルを拒んだのではなく、神が王として治めることを拒んだのであると言われました。このことはサムエルの失敗によるのではなく、イスラエルの民が神を退けたのだと言われたのです。サムエルはどれほど慰められたことでしょう。そこで、サムエルは王の権利について人々に教え、王を選ぶことに同意しました。そして、最初に選ばれたのがサウルでした。サウル王は初めは神のことばに従いましたが、後に高慢になり、神のことばを退け自分の思いを優先するようになりました。そこで神は彼を退けられました。次に選ばれたのが少年ダビデです。サムエルは彼に油を注ぎ神に選ばれた王に任命しました。成長したダビデによって国は繁栄し安定しました。しかし、ダビデの子ソロモンの死後、国は北と南に分かれ、後にこの2つの国も亡ばされてしまいました。王が神のことばに従う時、国は繁栄しましたが、王が神のことばに逆らう時、国は他の国に攻められ苦しめられました。神は王政になってからも、預言者を遣わして国を立て直そうとされました。サムエルはまた、預言者の育成にも力を注いだと言われています。彼は最後まで主の言葉に忠実な者として神に仕え生涯を全うしたのです。

祈りとは自分の願い事を神に叶えてもらうことだと多くの人々は考えています。しかし、聖書は祈りとは神との対話であると教えています。神は人をご自身に似せて創造されました。それは、人間だけが神の声を聴き応答できる者として創られたということです。しかし、私たちの側が静まって神の声を聴こうとしなければ、神のことばを預かることはできません。神は今も、サムエルに語りかけてくださったと同じように、私たちに祈りを通して、聖書のことばを通して語ってくださいます。私たちがそれを信じ、静まって神のことばに耳を傾ける時、私たちも神のことばを聞く者とされるのです。