はじめに

前回は聖書全体からテーマごとに御言葉を学んでいく『組織神学』についてご紹介しました。今回は早速、はじめのテーマである「啓示」について見ていきたいと思います。「啓示」というと難しく聞こえますが、簡単に言い換えると「神がご自身とご意思を人間に開示する行為およびその内容」のことです。

植物のピーマンを研究する場合、私たちはピーマンを観察することから始めます。一方で、神を研究するためには何から始めれば良いでしょうか。望遠鏡で天にいる神を観察するというわけにはいきません。

父なる神はご自身が創造された人と交わりを持ち、ご自身の心を伝えたいと願っておられます。しかし、私たちには神の姿を見ることも、(預言者のような特殊な人々を除いて)神の声を直接聞き取ることもできません。そこで神の方から、私たちに語りかけ、ご自身のことを「啓示」されるのです。そしてこの「啓示」が私たちの信仰の土台、出発点になります。組織神学の学びがこの「啓示」についてから始まるのは、そもそもの学の土台となる知識が、すべて神の「啓示」に基づいているからです。

全8回 ロードマップ

回

テーマ

ポイント

関連する主な聖書箇所

第1回

啓示論の基礎と概要

啓示の概念・必要性・基本分類を把握する

申命記 29:29 イザヤ書 55:8-9 ヘブル人への手紙 1:1-2

第2回

一般啓示(一)自然と歴史

被造世界と歴史の歩みに示された神の開示

詩篇 19:1-4, 104:1-30 使徒の働き 14:15-17, 17:22-31

第3回

一般啓示(二)良心と人間性

人間の内面(道徳律・宗教性)に刻まれた痕跡

ローマ人への手紙 1:18-23, 2:14-16 伝道者の書3:11

第4回

特別啓示(一)歴史的展開

救済史の歩みと、その頂点としてのキリスト

創世記 12:1-3 出エジプト記 3:1-15 ヨハネによる福音書 1:1-14

第5回

特別啓示(二)聖書と霊感

聖書の霊感性、逐語全面霊感説、無誤性の意義

テモテへの第二の手紙 3:16-17 コリント人への第二の手紙 1:20-21

第6回

特別啓示(三)思想史的対比

アウグスティヌスとトマス・アクィナスの啓示観比較

詩篇 36:9 ローマ人への手紙 11:33-36 コリント人への第一の手紙 1:18-25

第7回

現代の課題と神学派

リベラル派と保守派の対立軸、保守派の留意点

テモテへの第一の手紙 6:20-21 テモテへの第二の手紙 2:15 ガラテヤ人への手紙 1:6-9

第8回

批判への弁明と信仰

現代的批判への神学的応答と信仰的アプローチ

コリント人への第一の手紙 2:10-16 ヤコブの手紙 1:22-25 詩篇119:105

第1回:啓示論の基礎と概要

1. 啓示(Revelation)の定義

「啓示」とは、神がご自身の存在、性質、ならびに救いの御計画を人間に開示される行為、およびその内容を意味します。

語源であるギリシャ語の Apokalupsis(アポカリプシス)は、「覆い(ヴェール)を取り除く」ことを意味します。隠されていた神の真理から覆いが去られ、人間に認識可能な形で提示されることが「啓示」の本質です。

2. なぜ啓示が必要なのか(二つの障壁)

人間が自力で神を認識できない背景には、神学的に二つの必然的理由が存在します。

 ① 存在上の断絶(無限と有限)

神は「無限なる創造者」であり、人間は「有限なる被造物」です。有限な人間の知性のみでは、無限である神の全貌を捉えきることが原理的に不可能です。適切な例か分かりませんが、例えば人は宇宙のすべてを知ることは出来ません。膨大な銀河系の数々を知り尽くすことも、そこに存在するすべての物質を解き明かすこともできないでしょう。あるいはDNA、遺伝子などの構造が分かったとしても、それらの複雑な生命の起源や目的を理解することは出来ません。人に出来るのは目に見える「現象(Phenomenon)」の観察と推理だけです。また時間のことを考えてみても、人に理解できるのは自分が経験した過去か、ちょうど今経験している現在のことだけです。宇宙や生命のすべてを創造し、すべての始まりから終わりまでを知っておられる無限・永遠の神のことを、有限な人間の理性で理解できないのは当たり前のことなのです。

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イザヤ書 55:9

 

あなたは神の深さを見極められるだろうか。
全能者の極みを見出せるだろうか。
それは天よりも高い。
あなたに何ができるだろう。
それはよみよりも深い。
あなたが何を知り得るだろう。
それを測ると、地よりも長く、
海よりも広い。

ヨブ記 11:7-9

 

ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。

ローマ人への手紙 11:33

 ② 罪による知性の歪み

人間の不従順(罪)は、感情や意思だけでなく「知性」にも影響を及ぼしました。人間は神を正しく認識する霊的視界を失っているため、神の側からの主動的な開示を必要とします。

彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。

エペソ人への手紙 4:18

 

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。

コリント人への手紙 第一 2:14

3. 啓示の二大分類(一般啓示と特別啓示)

神学では、啓示をその「対象」と「目的」によって二つに整理します。

【神の啓示】

├── 一般啓示(対象:全人類 /目的:神の存在と栄光の提示)

└── 特別啓示(対象:特定の人々・信徒 / 目的:罪からの救いの提示)

① 一般啓示(General Revelation)

  • 手段: 自然界の秩序、人類史の展開、人間の良心や道徳律。

特徴: 時代や地域を問わず、すべての人間に対して普遍的に与えられています。日本にはじめてキリスト教が伝来したのはフランシスコ・ザビエルの宣教の時期だと言われますが(1549年=「以後よくお見知りおきを」で覚える)それ以前であっても、神について直観的に把握することは可能であったということです。後で詳しく見ますが、具体的に挙げられているのは①偶然に誕生し得ないこの自然界の素晴らしさと、②何が善であるかを告げる良心の存在です。しかし、これらの一般啓示はすべての人に共通して与えられ、神の存在や永遠の力を示していますが、一方で「人はいかにして救われるか」という具体策までは提示しません。

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ローマ人への手紙 1:19-20

 

彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。

ローマ人への手紙 2:15

 

天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え
夜は夜へ知識を示す。
話しもせず 語りもせず
その声も聞こえない。
しかし その光芒は全地に
そのことばは世界の果てまで届いた。

詩篇 19:1-4

② 特別啓示(Special Revelation)

  • 手段: 預言者や使徒への言葉、歴史的介入、イエス・キリストの受肉、および聖書。
  • 特徴: 特定の文脈において明確に与えられます。神の愛と「キリストによる救いの道」を明確に提示するものであり、一般啓示を正しく理解するための解釈の光(眼鏡)としても機能します。一般啓示だけであれば、同じ自然を見ても全く異なる神観、宗教観が生まれるでしょう。しかし、聖書によって具体的に啓示されるならば、共に同じ神を見上げ、礼拝することが出来るのです。意思や情報を伝える上で、やはり最良のツールは言葉です。バプテスト(およびプロテスタント)の立場に立つ保守的な教会が聖書の権威を強調するのは、誤りうる人が作りあげたに過ぎない伝承や教会の伝統よりも、この神の「特別啓示」である聖書の方を重んじるからです。

ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。

ペテロの手紙 第二 1:20-21

 

また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

テモテへの手紙 第二 3:15-16

 

神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。

へブル人への手紙 1:1-2

4. 啓示論に向き合う基本姿勢

啓示論の学問的究明は、単なる概念の整理に留まるものではありません。「自らを開示される神」に対する信仰による応答の姿勢が問われます。かつて教父アウグスティヌスは「理解したから信じるのではない。信じることで理解できるのだ」と語りました。神の啓示を「バカバカしい」と言いながら学んでも、何も理解出来ないし、得られるものはないでしょう。そこに示されている教えを信じることで、「ああ、神の御心はそういうことなのか」と理解でき、そして救いを得ることが出来るのです。

もちろん、それは循環論法だという非難もあります。循環論法というのは、例えば「聖書が言っていることは正しい。その根拠は、『聖書は正しい』と書かれているからだ。そう書かれていることが正しいと言えるのは、『聖書が言っていることが正しい』からだ」と、同じところをグルグル回ってしまうことです。ただ、最終的な基準を人間の理性においても同じことは発生します。私たちは何かを基準におき、その基準をもとに測ることになるのですが、その基準そのものを測る基準をさらに測る基準が正しいと言えるような絶対の基準を持っていないので、結局、これは正しい基準であると信じて定めることになるのです。(「神がいない」というのも一つの信仰であり、人間の理性が正しさを見極められるというのも一つの信仰です。)

人の理性や、観察と推論に基づく知識を否定するのではありません。ただし、それらが聖書を裁く基準になるわけでもありません。聖書という啓示を人間の理性という基準で測り、断罪するのではなくて、聖書という啓示を信じる信仰によって、人間の理性では測り知ることのできない真理を理解するのです。啓示に対して求められるのは、人間の理性による批評ではなく、信仰であるということ。「理解したから信じるのではなく、信じることによって理解する」ということをはじめに覚えておきましょう。これは後々に大変重要になってくる鍵です。

第1回のまとめと引用聖書箇所

啓示とは、神が覆いを取り除いてご自分を開示される行為です。自力では神に到達できない人間のために、神は普遍的な「一般啓示」と、明確な救いを示す「特別啓示」を与えられました。

  • 申命記 29:29
  • イザヤ書 55:8-9
  • ヨブ11:7−9
  • ローマ11:33
  • エペソ4:18
  • 第一コリント2:14
  • ローマ1:19−20
  • ローマ2:15
  • 詩編19:1−4
  • 第二ペテロ1:20−21
  • 第二テモテ3:15−16
  • ヘブル人への手紙 1:1-2