説教題:『マタイの召命』
聖書箇所:マタイの福音書9章9節
1. 現代と古代に共通する「人間関係の疲弊と孤立」
現代では、SNSなどの文字によるやり取りが増え、言葉の背景にある相手の表情や雰囲気を汲み取ることが難しくなっています。その結果、誤解やストレスから人間関係を丸ごと断ち切ってしまう「人間関係リセット症候群」と呼ばれる現象が起きています。 現代は手軽にアカウントを消してやり直すことができますが、古代の世界ではコミュニティからの排除は死に直結する深刻な問題でした。特にローマ帝国の支配下にあった当時、同胞のユダヤ人から過剰に税を取り立て、差額を自分の懐に入れていた「取税人」は、裏切り者や強盗と同等の罪人として深く嫌われ、共同体や信仰の場から完全に締め出された圧倒的な孤立の中に置かれていました。
2. マタイが手にしていたものと「すべてを捨てる」決断
本日の箇所に登場するマタイ(レビ)も、そのような嫌われ者の取税人の一人でした。彼は単に無知で強欲だったわけではありません。ローマの税制において取税人の権利を得るために多額の資金を投じ、さらにラテン語やギリシャ語、ヘブライ語などを操り、帳簿を管理する高度な知性と能力を持ったエリートでした。 神への信仰や同胞との信頼関係、ユダヤ人としての誇りを失ってでも、社会の厳しい孤立から自分を守り、不安定な世の中で生きていくために彼が唯一頼りにしたのが「金」であり、取税人という職業だったのです。 そのマタイのもとにイエス様が歩み寄り、「わたしについて来なさい」と声をかけられました。マタイは即座に立ち上がり、すべてを捨てて従いました。手の中にあった唯一の安全基地であり、生活の基盤であった取税人の立場を放棄することは、人間的な計算では説明のつかない大きな決断でした。
3. キリストの招きの力と作り変えられる恵み
なぜマタイは、これほどの犠牲を払ってイエス様に従うことができたのでしょうか。それは、彼自身の意志の強さや悔い改めの努力によるものではなく、イエス様との出会いと、その招きの言葉自体に人を引き上げる力があったからです。聖書に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(IIコリント5:17)とあるように、キリストによって新しく造り変えられたからこそ、彼は自らの力や富に頼る過去の生き方を手放し、喜んで従うことができたのです。 イエス様は「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」と言われました。私たちがどれほど不完全で、自分の力に限界を感じていたとしても関係ありません。イエス様は愛をもって私たちを招いてくださいます。このキリストの招きに目を向けるとき、私たちもまた、執着していたものを自然と手放し、新しい歩みへと踏み出すことができるのです。
